北朝鮮のミサイルから日本をどう守るか③
例えば相手の能力がどんどん上がっていく中において、今までの議論の中に閉じ籠もっていていいのかという考え方の下に、 自民党の国防部会等から提案が出されています。我々も、そういう ものも受け止めていかなければいけないと考えているのです(※ 2)。
北朝鮮のミサイルから日本をどう守るか②
核兵器禁止条約?こわいねこわいね…
本日10月26日の全国紙(朝日・毎日・日経・読売・産経)の朝刊では、
北朝鮮のミサイルから日本をどう守るか①
【解説・所感】NNNドキュメント「防衛大学校の闇」③
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2学年に進級したNさんは、ゴールデンウィーク(GW) 中にある服務事故(服務規律違反)を起こす。
そしてこの服務事故をきっかけに、GWが明けると今度は4学年、それも中隊学生長から「指導」の名の下に暴行を受け、Nさんの居室の机・本棚、寝室のベッド・ロッカー・衣装ケースは3日連続で飛ばされた(※)。
さらには上級生にとどまらず、複数の同期からも暴行を受けることとなる。
(※)動画6:33~を参照。
番組では1学年の中期に同部屋の3学年から暴行を受けた場面に続き、2学年GW明けに話が飛んでいる。
だが、防大生活で最も重要な時期は1学年後期(1月〜3月)から2学年のGW前までであるため、ここでは1学年中期にさかのぼって順に話を進めていきたい。
さて、実は1学年中期(8月〜12月)というのは、前期・後期と比べ日数が多いので長くは感じるものの、1学年にとってはさほどきつくはない。
前期を通じて防大生活全般に慣れるというのもあるが、それ以上に中期は大隊対抗の競技会等の行事が多く、特にそれらの行事に熱心な上級生が1学年に対して懐柔策に走るため、場合によっては前期は鬼のように1学年をシバきまくっていた上級生がまさに人が変ったようにフレンドリーキャラに豹変することもある。
中期に入るとまもなく大隊対抗の水泳競技会と学科の定期試験があり、それが終わると1学年は北富士演習場での秋季定期訓練に入る。
その後は開校祭の準備期間となり、棒倒しや演劇祭、観閲パレード訓練等々に追われ、この間、校友会によってはシーズン真っ只中である。
開校祭が終わると、3・4学年は冬季定期訓練があり、4学年は並行して卒研・卒論にかなりの時間を割かなければならない。
さらに人によっては、クリスマス・ダンスパーティーに参加したり、3学年は中長期にわたり各国の士官学校に派遣されたりもする。
そういった事情で、中期は学校全体がせわしく、またエンジョイモードに入るため、学生舎内の雰囲気も前期の殺伐としたものとはガラッと変わるのである。
もちろん、後期までそれが続くわけではない。
冬休みを挟んで後期に入ると、またもや1学年は戦々恐々の日々を送ることとなる。
中期で緩んだ空気が一変、再び「防大1学年らしい」毎日となるのだ。
せっかくここまで耐え忍んだにも拘らず、後期の追い込みに心が折れ、退校してしまう1学年も少なくない。
後期の学生舎における下級生指導は3学年が主体となる。
3学年は4学年への進級時、全員がそのまま同じ中隊に残留する。
ゆえに3学年にとっての後期とはすなわち「4学年前期の予行演習」である。
特に後期には2学年が冬季定期訓練(スキー訓練)のため約1週間ほど不在となる期間があるが、この期間は多くの中隊で「ヘル・ウィーク(地獄週間)」に突入する。
それも1学年の誰かが服務事故を起こしたわけでもなく、「お前たちが2学年に上がって新しい中隊に行っても恥をかかないように」だとか「カッター期間に向けた準備」などというかなりお節介な理由でヘル・ウィークが催されるのである。
このヘル・ウィーク期間中は極めて理不尽かつ強烈なシバかれ方をする。
はたから見ればまさに「凄惨ないじめ」であろう。
有無を言わさぬ上級生の猛攻にひたすら耐えるのみである。
ではなぜ耐えるのか。
逃げたら負けだからである。
たとえどんなにきつかろうが辛かろうが逃げ出さない。
一歩間違えれば死を選びかねない、そういった状況を乗り越えてきた経験のある人間と、辛い状況から逃げた人間では、その後の人生に雲泥の差が生じるのは自明である。
1学年最後の猛攻を耐え忍んだ暁であるかように、後期の終わりに陸海空の要員
(※)と学科の進学先が指導官から発表される。
(※)1学年は「共通要員」であり、2学年進級時に陸海空いずれかの要員に振り分けられる。
後期が終わると春休みに入るが、自分の場合、春休みは全日校友会の春合宿であった。
合宿先から直接学校に戻ると、晴れて2学年(仮)としての新たな防大生活が始まる。
そしてこの日から約1ヶ月もの間、人生最大の地獄を味わうことになるのである。
(つづく)
自由とはなんぞや
各種メディアで取り上げられ、10歳にして「時の人」となっている天才革命家YouTuberゆたぼん。
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僕は、3年生の1学期くらいに、不登校になりました。
なんで不登校になったかというと、まわりの子たちが、ロボットに見えたからです。
なんでロボットに見えたかというと、親のいうことと、教師のいうことをハイハイ聞いていたからです。
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学校で出された宿題を提出せずにいたところ、先生に強制的に居残りさせられた上に体罰を受け、それをきっかけに不登校になったという。
宿題未提出→先生に怒られ、叩かれる→もうイヤだ、学校に行かない!
→「みんな、自由に生きよう!」「やりたいことをやろう!人生は冒険や!」
という図式である。
ちなみに、ゆたぼんのTwitterのプロフィール欄は以下の通り。
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不登校の天才YouTuber 10歳 自由人‼️ ゆめのたねラジオの最年少パーソナリティ 俺と同じ不登校の子とか苦しんでる子に元気を与える‼️不登校の子とか世界に行きたいって言う子を1000人集めて、子ども1000人で子どもだけが乗れる子どもピースボートを作る‼️世界中を見て回って世界中に友達を作って戦争をなくす‼️
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この世界から戦争をなくそうとは何とも壮大な野望である。
おそらく海賊王になるよりも難しいだろう。
それはさておき、本人はまだ10歳なので、これはそのまま親の信条ないし親の教育方針であると見ることができる。
それゆえに、ネット上には彼の父親に対する批判も多く、それらの批判に対する父親の反論も確認できる。
私見としては、他人の家の教育方針にとやかく言う気はないし、ゆたぼんが10年後、20年後にどうなっているのかなんて現時点では誰にもわからないので、将来が楽しみですね、としか言いようがない。
ただ、ゆたぼんの投稿動画やTwitterを見て気になったのが、やたらと「自由」というワードを乱発している点である。
かの尾崎豊も
自由っていったいなんだ~い♪
どうすりゃ自由になるか~い♪
と叫んでいたが、「自由」というのはなかなか難しい概念であって、単に好きなこと、やりたいことをすることが自由とも言い切れないし、一方で嫌なことをしないことが自由であるとも言えないのである。
ただ1歳半の娘を持つ父親としては、自分の娘にはやりたいこと、好きなことをやって一度きりの人生を充実したものにしてほしいし、常に幸せであってほしいと願っている。
願ってはいるが、それには好きなこと、やりたいことをすることに伴う多くの忍苦、忍耐に折れることのない強い心と犠牲の精神、それも自発的な精神を培う必要がある。
言い換えれば、本当に好きなこと、やりたいことを貫く人生というのは、強く「自由な心」のみが達し得る領域であるというのが私の信条であり、子供がそこに至るまで可能な限りサポートすることが親としての自分の役目であると考えている。
そんなわけで、今夜はあらためて以下の2冊を読み込むこととしたい。