民主党の動向ーーアメリカ大統領選挙

2024年も折り返し地点へと差し掛かったが、この下半期、世界で最も注目度の高いビッグイベントといえば、やはりアメリカ大統領選挙であろう。


アメリカ国内外でどれだけ「アメリカ分断論」や「アメリカ衰退論」が声高に叫ばれようと、国際政治、世界経済、あるいは国際安全保障にとどまらず、気候変動、グローバルヘルス、エネルギー、食糧問題といったグローバルないしトランスナショナルな諸課題に対応するにあたり、各国を動員し国際社会を先導できるのは、結局のところアメリカだけである。

 

無論、 アメリカはもはや唯一の超大国ではなく、そのパワー・リソースも有限ではあるが、まさに地球を覆うような同盟・パートナーシップ網を有し、あらゆる分野でこれほど圧倒的な影響力を有する国は依然としてアメリカ以外にはない。

 

東欧ではウクライナ、中東ではガザで大規模攻撃の応酬が続き、東アジアでは中国が粛々と軍事力を増強し続け、リビジョニスト国家間の結び付きがますます強まる今日において、いったいアメリカの次期大統領は誰が担うのか、これまで以上に世界が注目するのは当然である。

ウクライナ、ガザ、そして東アジア最大の紛争リスクを孕む台湾海峡の行く末は、今後のアメリカの政策判断によって大きく左右される。


さて、今回の大統領選に関して、日本のメディアにおいては「もしトラ」を案ずる論調ばかりが目立つが、 米ジョージア州アトランタで現地6月27日に開かれたジョー・バイデン大統領とドナルド・トランプ前大統領によるテレビ討論会では、多数のメディアが「struggle(苦戦、苦闘する)」という語を用い、バイデン側の劣勢を伝えている。


前回の大統領選で「Our best days still lie ahead.(さらに良い日々が待っている)」 というフレーズを繰り返し、アメリカの美徳をしきりに称賛するバイデンを支持したリベラル紙の代表格ニューヨーク・ タイムズは、6月28日の社説で「 バイデン大統領は選挙戦から撤退すべきだ」という見出しを打ち、「この国の将来、バイデン大統領の不安定さを考慮すれば、 アメリカは共和党候補に対抗できる、より強力な候補者を必要とする」と論じた。


なお、バイデンは29日、ニューヨーク州イーストハンプトンで開催された政治資金イベントにおいて、献金者・支持者を前に11月の大統領選からは撤退せず、選挙戦を継続することを明言している。


しかし、今回のテレビ演説で随所に見られたような、言葉に詰まる、声が出ない、敵(トランプ)のターンで完全に上の空状態などは、本人のいう風邪の症状云々というより、完全に加齢によって生じる年寄りのそれにしか見えない。


1942年生まれ、今年82歳になるバイデンの最大のネックは、やはり年齢であろう(ちなみに、トランプは1946年生まれの78歳で、 こちらも立派なおじいちゃんである。だが、 たとえバイデンのように老化による判断力等の減衰が出てきたところで、トランプのそれが加齢によるものなのかの判別はつきずらい)。


では、仮にバイデンが撤退する場合、いったい誰が民主党の大統領候補として擁立されるのであろうか。

 

副大統領のカマラ・ハリスは、在任期間中にこれといった実績を挙げているわけでもなく、なにより国内での人気に乏しい。

 

かつて「バリキャリ」から「最強のファーストレディ」となり、後にオバマ政権で国務長官を務めたヒラリー・クリントンは、政治的影響力や外交経験でいえば申し分ないが、2016年の大統領選でトランプに敗れている。

 

プリンストン大学、ハーバード・ロースクール出身で弁護士、してバラク・オバマ元大統領の妻としてファーストレディとなったミシェル・オバマは人気も高く、彼女の出馬待望論は絶えないが、本人はその可能性を否定している。

 

あるいは、カリフォルニア州知事のギャビン・ニューサムやペンシルヴェニア州知事のジョシュ・シャピロなどに期待する声も国内にはあるが、彼らも自らバイデンの代わりとなる意思表示はしていない。

 

民主党が大統領候補者を正式に指名するのは、8月19日から22日にかけてシカゴで開かれる党大会であるが、バイデンが撤退を表明したとして、そこからどのようにして巨額の選挙資金を集めるのか、短期間でトランプに勝てるほどの支持を得られるのかなど、現実的な障壁は高い。

 

しかし、このままバイデンが選挙戦を継続したところで、重要なメディアの支持をリベラル紙からさえ得られていない時点で民主党の勝算は低いと言わざるを得ないだろう。

 

まずは8月半ばまでの間、民主党にどういった動きが見られるか注目していきたい。

ガザ衝突と「終わりなきパレスチナ問題」

2007年のガザ封鎖以来、 5回目となるハマスイスラエルの大規模な武力衝突が幕を開けてから、まもなく4ヶ月が過ぎようとしている。

 

2023年10月7日、 パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム武装勢力ハマスは、敵対するイスラエルに対し、かつてない規模の奇襲攻撃を仕掛けた。

 

ハマスはこの日、イスラエル領内に向けて数千発のロケット弾を打ち込むと同時に、1000人規模の地上戦闘員を動員して近隣のユダヤ人住宅を急襲した。

 

世界に「パールハーバー」 的衝撃を与えたこの攻撃によるイスラエル側の死者は1200人を数え、約240人の住民がガザに拉致され、人質となった。

 

なお、イスラエルの人口は日本の1/10に満たない約900万人であり、1948年の建国から今日に至るまで、 イスラエルが最も犠牲者を出したのは独立戦争である第一次中東戦争であったが、この時の死者数は9ヶ月間で約6000人である。

 

そのイスラエルにおいて、たった一日の攻撃でこれほどの損害が出たことを考えれば、イスラエル社会が今回のハマスの奇襲にどれほどの衝撃を受けたのかは想像に難くない。


イスラエル軍ハマスが越境して侵入した際の非人道的な「 残虐行為」の映像を公開しており、またSNSでは多数の動画が出回っているが、子どもの目の前で平然と父親を殺害する戦闘員の姿や、銃殺した住民の遺体に何度も銃弾を打ち込む戦闘員の嬉々とした様子、あるいは乳幼児の複数の焼死体が道中に遺棄されていたりと、そこには惨憺たる武力紛争の「現実」が映し出されている。


ハマスによる衝撃的な奇襲、そして「蛮行」の数々はイスラエル国民の計り知れない憎悪を煽り、イスラエルは過去に例がないほどの大規模かつ圧倒的な総攻撃に打って出た。


イスラエル軍ガザ地区内で空爆や地上部隊による攻撃を続け、今日までにガザの死者数は2万7000人にのぼり、建物の半数以上が破壊され、人口222万人のうち170万人以上が域内避難民(IDP: Internally Displaced Persons)となっており、電気も水道も食料もない人道危機が発生している。
また、医療機関も多数破壊されており、社会的インフラは甚大な被害を受けている。

 

イスラエル軍は「ハマスの壊滅」を掲げてガザへの侵攻を続けているが、「一般市民の被害をできるだけ避ける」と明言はしつつも、イスラエルの攻撃によるガザ地区での死者の7割以上は女性と子どもである。


無論、非戦闘員や民用物に対する攻撃、過度の傷害・ 無用の苦痛を与える手段や方法を用いること、 軍事目標への攻撃によってもたらされる軍事的利益と巻き添え被害との不均衡などは、いずれも戦争法(武力紛争法・国際人道法) に反するものであるが(※)、これに関しては見境なく「 憎悪の応酬」が繰り広げられている状況にあると言えよう。


(※)ジュネーブ第一追加議定書第35条、第51条4項、 第51条5項(a)、第57条2項(a)(ⅲ)参照。

 

昨年11月24日に始まった戦闘休止はわずか7日間で終了し、12月1日には戦闘が再開されている。


そして現在、カタールやエジプトの仲介によって、ガザ地区での新たな停戦と人質の解放に向けた間接協議が進められている。


両者ともに妥協点を探りつつも、イスラエルハマスの憎悪と暴力の連鎖は止まることなく、 犠牲者は日増しに増えていく一方である。

 

そしてたとえ停戦が実現したとして、あるいはイスラエル軍ハマスを壊滅できたとして、その後、この地域はいったい誰が、どのようにして統治するのだろうか。
憎悪に燃えるパレスチナ人に対し、イスラエルはどのように向き合うのであろうか。

 

国際社会がパレスチナ問題を放置し続けてきた「ツケ」 はあまりにも大きい。


いまだ出口の見えないガザ衝突であるが、「終わりなきパレスチナ問題」の解決の糸口を見出すためには、たとえそれがアポリアであるように思われようとも、国際社会がこの問題と正面切って向き合わなければならないことは自明である。

G7広島サミット、ロシア、中国、ひでぶ

本日5月19日から21日にかけて、G7広島サミットが開催される。

被曝地である広島で開かれ、非核保有国である日本が議長国となる今回のサミットを迎えるにあたり、岸田文雄首相の「核なき世界」の実現に向けた意気込みには並々ならぬものがある。

ロシア・ウクライナ戦争が長期化するなか、核の使用を仄めかすプーチンロシアに対し「核兵器を使ってはならない」という強いメッセージを送るという意味で、G7の結束、そして議長国・日本がいかにリーダーシップを発揮できるかに注目したい。

 
ポスト・コロナの世界経済、エネルギー・食糧安全保障、グローバル・サウスが直面する諸課題、地球規模での気候変動・保健・開発など議題は絶えないが、最重要テーマはやはりロシア・ウクライナ戦争であろう。
 
岸田首相が強調する「法の支配に基づく国際秩序」とは、すなわち「現代の国際社会には守らなければならないルール・原則・規範がある」ということであり、ロシアのウクライナ侵略に見られるような力による一方的な現状変更は認められない、ということだ。
 
ロシアのプーチン大統領ウクライナの領土を侵略するどころか、歴とした国連加盟国であるウクライナの主権さえ認めていない。
これは「法の支配に基づく国際秩序」を真っ向から否定する行為に他ならない。
 
ではなぜ、「法の支配に基づく国際秩序」を守る必要があるのか。
それは国際社会がアナーキー無政府状態)だからである。
 
国際社会には世界政府もなければ、世界警察もない。
国内社会のように法を破っても逮捕されて刑罰を受けるわけではない。
国際社会は限りなく無法地帯に近い社会なのである。
 
ゆえに、責任ある国家が自発的に、協力しながら国際的なルール・原則・規範を守ろうとしなければ、待っているのは暴力が支配する弱肉強食の世界、いわば『北斗の拳』の世界である。
イギリスの哲学者トマス・ホッブズは、これを「自然状態」と定義し、この自然状態は「万人の万人に対する闘争」を引き起こすと主張した。
 
ロシアによる侵略行為、ましてや核兵器の使用を認めてしまえば、いずれ北斗の拳の世界(あれは世界核戦争後の世界ではあるが)が現出することになりかねない。
 
国際的なルール・原則・規範を守りつつ、各国が協力し合い、外交交渉を通じて各々の国益を追求していく平和裏な世界か、暴力が支配する群雄割拠の北斗の拳的世界か、はたしてどちらが最大多数の最大幸福につながるのであろうか。
 
法の支配に基づく国際秩序を守ることの重要性、そして「核兵器を使ってはならない」というメッセージは、一義的にはロシアに対して向けられるものではあるが、ロシア同様、力による現状変更を厭わない中国に対するメッセージとしても機能する、あるいは機能しなければならないものでもある。
 
日本が直面するであろう最大の危機は、台湾海峡危機である。
台湾有事になれば、たちまち日本は前線国家となり、わが国の領土、そして国民の生命は危機に瀕することとなる。
 
中国にいかに対するか。
中国に戦争をさせないために、いかなる戦略を策定し、実行するか。
第一に対中抑止であり、そして第二に抑止が機能しなかった場合、すなわち最悪の事態を想定し、それに備えることである。
 
台湾海峡危機が現実味を帯びるなか、今後の日本の安全保障のプライオリティは以前にも増して中国にあると言えよう。

陣頭指揮の人ーー世界各国で悼まれる安倍元首相

安倍晋三元首相が街頭演説中に凶弾に倒れるという衝撃の事件は、日本国内にとどまらず世界的に大きく報じられ、また世界各国の首脳をはじめ政界のVIPが驚きと悲しみをもって哀悼の意を表している。
 

www.bbc.com

 

time.com

 

www.nikkei.com

 

これらの報道やTwitterなどのSNSを見るだけでも、安倍元首相がいかに国際社会の中で影響力を持ち、世界的にインパクトを与えた卓越したリーダーであったかということがあらためて確認できる。

 

憲政史上最長となる3188日の在任期間もさることながら、外遊回数81回、のべ176カ国・地域を訪れる「地球儀を俯瞰する外交」を展開し、また日本版NSCを設立、「積極的平和主義」を掲げて国家安全保障戦略を策定し、平和安全法制を制定して限定的な集団的自衛権の行使を可能にするなど、戦後日本の一国平和主義的安全保障政策を、類稀なるリーダーシップによって大きく転換させた。

 

また、「自由で開かれたインド太平洋( Free and Open Indo-Pacific: FOIP)」は日本の外交戦略として2016年に当時の安倍首相が提唱したものであり、その後2018年のトランプ政権期には、米軍最古の統合軍であるアメリカ太平洋軍が「アメリカインド太平洋軍」に名称を変更し、2021年の日米共同宣言には「自由で開かれたインド太平洋を形作る日米同盟」と明記されるなど、安倍元首相提唱のインド太平洋という概念は、日本の外交・安全保障のみならず国際安全保障における戦略上のトレンドとして定着している。

 

今でもよく覚えているが、安倍元首相は、筆者の防衛大学校の卒業式における内閣総理大臣訓示のなかで、セオドア・ルーズベルトの名言を引用しつつ、「批評するだけの人間に価値はない。真に称賛されなければならないのは、泥と汗と血で顔を汚し、実際に現場に立つ者である。勇敢に努力するものであり、努力の結果としての過ちや、至らなさをも持ち合わせた者である」と述べ、自信と誇りを持って一心不乱に現場で全力を尽くすことの崇高さを強調していた。

 

統率教育において、その重要性を繰り返し説かれる「陣頭指揮」であるが、いかなる批判・批評にもめげることなく、先頭に立って自ら奮闘し、最後まで信念を貫こうとした安倍元首相は、まさにこの「陣頭指揮」を体現するリーダーであったように思われる。

 
口ではなく、行動すること。
誰に何を言われても、信念を貫くこと。
自ら先頭に立ち、困難にもめげず、汗水垂らしてもがくこと。
 
日本国民に対し、実際にそれを見せてくれたのが安倍元首相であった。
 
今は何より、ご冥福をお祈り申し上げます。

参院選投票日を前に

明後日7月10日に投票日を迎える参院選に向け、各党・各候補者は先月22日の公示以来、選挙戦における各争点に関して論争を繰り広げてきた。


世界的なインフレに連動した物価高に円安、 それに伴う実質賃金の低下への対応、エネルギー政策、新型コロナ対策、少子化対策子育て支援等々、いずれも国民生活に直結する重要な争点である。


しかし、先の見えないロシア・ウクライナ戦争、力による現状変更を企図し軍事強硬路線を直走る中国、2022年上半期だけで過去のミサイル年間発射回数を更新した北朝鮮と、著しく悪化するわが国を取り巻く安全保障環境を踏まえれば、迫りくる脅威から日本をいかに守るのかという防衛・ 安全保障政策は、文字通り死活的に重要な問題として捉えるべきであろう。


改憲論議を含め、外交・安全保障政策に国民の関心があまり向けられていないのは蓋し残念である。

 

www.yomiuri.co.jp

 

 

いずれにせよ、今回の参院選を通じて各党・各候補のより具体的な安全保障政策案を聞きたかったところであるが、残念ながらいずれの主張も曖昧模糊たるものにとどまっている。

 

自民党は、今年5月に来日したバイデン米大統領に対し、岸田首相が「防衛費の相当な増額」を約束していることもあり、北大西洋条約機構NATO)の国防予算目標に当たるGDP比2% 以上を目安とした防衛費の増額を公約している。


また、日本維新の会も同様の公約を掲げており、 国民民主党は水準を示さずに増額を主張している(※)

 

(※)公明党と立憲民主は防衛力の「着実な整備」を訴えるのみで、共産党は防衛費増額に反対している。

 

自民・維新・国民民主の各党は「反撃能力」の保有を主張しているが、求められるのは防衛費の数値目標や「 敵の攻撃に対する反撃能力を持ちましょう」といった浅薄な主張ではない。


今現在、日本が安全保障上どのような危機に直面しており、日本を守るためには何がどれだけ必要か、あるいは「戦時」となった場合にどういった対応をとるのか、それらを勘案した場合、 結果的にどれくらいの防衛費増額が必要となるのか、といった現実的かつ具体的な政策論議である。


それを国民に向けて丁寧に説明していけば、自ずと日本の安全保障問題に対する国民の関心も高まっていくであろうし、GDP比2%以上を念頭に置いた防衛費増額を「無条件に喜べない」と、現場の最前線を担う指揮官に「個人的な感想」 を述べさせてしまう事態にもならないはずである。

 

news.yahoo.co.jp

 

 

国家の存亡に関わる安全保障であるからこそ、どこまでも丁寧な議論、丁寧な説明を期待したい。「右であれ左であれ、わが祖国」である。

ロシア・ウクライナ戦争から何を学ぶか

ロシアがウクライナに対して軍事侵攻を開始してから2カ月が経過した。

ウクライナのゼレンスキー大統領は、戦争終結のために自国領土をロシアに譲り渡す気はないと徹底抗戦の構えを見せており、一方でプーチン大統領が侵略の失敗を認めて撤退するとは考え難い以上、両国の攻防戦には終わりが見えない。
 
無論、他国の主権と領土を脅かし、人々の生命を無残に奪うロシアの一方的な力による現状変更、侵略戦争は決して許してはならないものである。
 
 
20世紀の二つの世界大戦は、力の行使のコストの大きさと、それがもたらす苛烈さを明らかにし、その結果として国連体制の下、各国による力の行使に制限を加えることで、世界は平和と安定を希求してきた。
 
加盟国の行動原則を示す国連憲章第2条は、国際紛争は平和的手段によって解決しなければならず、武力による威嚇および武力の行使も許されないと定めているが、ロシアの行動は明らかにこれを踏みにじり、国際秩序の根幹を揺るがしかねないものである
 
また、ロシアは開戦法規(jus ad bellum)のみならず、民間人を無差別に攻撃するなど交戦法規(jus in bello)をも無視する行動をとっている(※1)
 
(※1)国際法では、文民と民用物に対する攻撃は禁止されている(軍事目標主義。ただし、軍事目標に対する攻撃に伴って生じる巻き添え損害に関しては、過度でなければ合法とされる)。また、敵国戦闘員に対して「過度の傷害や無用の苦痛」を与えてはならない(ハーグ陸戦条約、特定通常兵器使用禁止制限条約など)とされるが、たびたびメディアで取り上げられるクラスター弾の使用については、その禁止条約にロシアは批准していない。
 
さらには子供を含む多くの市民を虐殺し、民家に押し入って略奪行為を働くなど、ロシア軍将兵は残虐な戦争犯罪を繰り返しているとされる。
 
国連安保理常任理事国であるロシアが、国際法に真っ向から反する姿勢を見せている以上、国連加盟国はロシアを徹底的に糾弾し続け、史上類を見ない規模の強力かつ包括的な経済制裁で追い込み、今後のロシアの出方次第、とりわけ懸念される化学・生物・核兵器の使用が認められるような場合には「必要なあらゆる措置(to use all necessary means)」を講じてプーチン大統領の意志を挫かなければならない。
 
無論、エスカレーション・コントロールに失敗し、世界大戦に発展することを望む者は、ほんの一部の人間を除いて全世界でもそうはいないはずである。
 
しかし、何が何でも大戦を回避しようとするあまり、武力による制裁というオプションを完全に排除してしまえば、ロシアに付け入る隙を与えるだけでなく、結果的により多くのウクライナの人々の命を犠牲にしかねない。
 
ロシアの侵略行為に宥和的な態度をとってしまえば、あるいはこの侵略戦争からロシアに何らかの成果を得させてしまえば、それは戦後築き上げられてきた国際秩序や国際規範を否定することと同義であり、同時に多くの国にとって自国の戦後外交の歩みを自己否定することになる。
そういった意味においても、国際的なプーチン包囲網の更なる強化は必至であろう。
 
 
日本はどうか。
 
岸田首相は、ロシアがウクライナ侵攻を開始した2月24日、ロシアの行為は「国際秩序の根幹を揺るがすもの」であると非難し、その後は各国と歩調を合わせるようにして矢継ぎ早にロシアへの経済制裁を打ち出している。
 
また、4月11日の自民党役員会では、紛争のエスカレーションや長期化によって「原油や食料の価格高騰で国民生活に痛みが増すこともありうる」と指摘した上で、「世界が秩序か混乱かという一大岐路にたっていることを国民に丁寧に説明し、協力をお願いしていく」と述べ、今後も全面的にウクライナを支援していく考えを表明している。
 
国際的な連携の下、自国にとっての不利益をも覚悟の上でウクライナを支援し、ロシアに対する圧力を強化していくことは、「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」を提唱し、ルールに基づく国際秩序の構築と地域の安定・繁栄を牽引していく立場にある日本にとって、むしろ国益に適う合理的な選択であると言えよう。
 
 
さて、今回の侵略戦争から現時点で日本が学ぶべきことは何か。
ここでは三点だけ触れておきたい。
 
第一に、自分の国は自分で守らなければならない、という厳然たる事実である。
 
「日本には日米同盟があるから、何かあればアメリカが助けてくれる」と言う人は少なくない。
 
はたして本当にそうだろうか。
 
日本に小規模な侵略があった時、たとえば尖閣諸島をめぐり日中で「軍事接触があった場合に米軍が介入して助けてくれるかどうかは、実際のところその時になってみなければわからない。
 
ウクライナのように、自国を守るために必死に抗戦してはじめて他国が援助してくれるのであり、それは日米同盟のある日本も同じである。
 
第二に、通常戦力による抑止、いわゆる懲罰的抑止力を整備していくことの重要性である。
 
懲罰的抑止とは、簡単に言えば相手の攻撃そのものに対する防御・反撃の威嚇によって、攻撃が成功しないと思わせることで攻撃を思いとどまらせる形の抑止を指す(※2)
 
(※2 )より正確には、「敵の領土拡大を否定する能力による抑止」である。(Glenn H. Snyder, Deterrence and Defense: Toward a Theory of National Security
 
一度でも領土への侵入を許してしまえば、敵を撤退させることは非常に困難であり、そのために掛かるコストは侵攻を抑止するために要するコストに比べ圧倒的に割高であろう。
 
中国・ロシア・北朝鮮と、安全保障上の脅威が現実的に差し迫る日本において、通常戦力の増強による抑止力の向上は、これまで以上に重要性が増していくように思われる。
 
第三に、国際法は守るに越したことがないということ、いわゆる「reputation cost」の問題である。
 
今回のウクライナ侵攻によって、ロシアの国際的地位・信用は地に落ちたも同然である。
2008年のジョージア侵攻と南オセチア独立、2014年のクリミア併合および東ウクライナ紛争のいずれにおいても国際社会の反発はそれほど強くなかったこともあり、プーチンもここまで「世界の敵」になってしまうとは思っていなかったかもしれない。
 
とは言え、ロシアは1994年のブタペスト覚書、1997年のロシア・ウクライナ平和友好条約という二つの二国間合意を反故にし、ウクライナの主権・領土・国民の生命を蹂躙すると同時に、多国間の国際的な規範を無視し、現代において最も守られるべき国連憲章第2条に反したわけであるから、それ相応の憂き目を見ることになるはずである。
 
そして何より、一度失った信用を取り戻すことの難しさを考えれば、やはり国際的な規範は遵守すべきだ。
 
 
混迷を極めるウクライナ情勢であるが、ウクライナが祖国防衛戦争に一日でも早く勝利することを願うとともに、デッドロックに陥ったプーチン大量破壊兵器を使用し、第三次世界大戦へ…という最悪のシナリオが現実のものとならないことを切に願う。
 

北朝鮮のミサイルから日本をどう守るか⑥

 
9月15日正午過ぎ、北朝鮮は今年に入って5回目となるミサイル発射実験を行い、短距離弾道ミサイル2発が石川県・能登半島沖の舳倉島から北に約300キロの海域、日本の排他的経済水域EEZ)内に落下した。
 
北朝鮮による弾道ミサイル発射は今年3月25日以来、約半年ぶりであり、日本のEEZへの落下は2019年10月以来である。
 
今回発射された2発のミサイルは、通常の弾道ミサイルのような放物線軌道ではなく、一度下降した後に再び上昇する変則的な軌道を描くものであった。
 
そのため、発射直後の政府による発表では「日本のEEZ外に落下したと推定」されていたが、その後の分析で落下地点が修正されることとなった。
 
韓国聯合ニュースは、変則軌道の新型短距離弾道ミサイル「KN23」の改良型である可能性を示唆している。
 
なお、北朝鮮は9月11日から12日にかけて、飛行距離1500キロの新型長距離巡航ミサイルの発射に成功したことを公表しているが、北朝鮮の意図としては、一連のミサイル発射実験を通じて軍事力の増強を誇示し、アメリカを挑発することで、具体的な非核化措置をとることなく、経済制裁の解除ないし対米交渉における優位を引き出そうとしていると見ることができる。
 
現時点では、北朝鮮に日本を攻撃する意図があるとは思えないが、日本にとって北朝鮮のミサイルが深刻な安全保障上の脅威であることに変わりはない。
 
たとえ示威を目的としたミサイル発射実験にせよ、もし北朝鮮が「手元を狂わせた」として、そしてもし日本が迎撃に失敗したとしたらどうなるだろうか。
 
実際、変則軌道ミサイルの迎撃は通常の弾道ミサイルに比べ格段に難しいとされる。
 
非核化することなく、アメリカの妥協を引き出そうとする北朝鮮は、今後もSLBM(潜水艦発射型ミサイル)や長射程ミサイル、変則軌道ミサイル等の更なる開発を進めていくと見られる。
 
日本にとっての安全保障上の脅威は、増大の一途を辿っていく。
 
一方で、イージス・アショアの導入断念以降、日本のミサイル防衛は足踏み状態が続いている。
 
何より、「厳重に抗議するとともに、強く非難する」以外に取り立てて何かするわけでもない日本は、北朝鮮に舐められている。中国やロシアも同様であろう。
 
このような現状について、すなわち国際社会における今の日本の立ち位置(周辺国からの見られ方)に対し、日本国民は何を感じ、どう考えているのだろうか。
 
繰り返しになるが、すべての周辺国・地域 (中国・ロシア・北朝鮮・韓国・台湾)が中距離弾道ミサイルおよび巡航ミサイル保有している状況の中で、日本も相応の抑止力・防衛力を整備することは極めて合理的な政策判断である。
 
ミサイル防衛であれば、まずは敵基地攻撃能力を保有すべきだ。
 
そしてその上で、専守防衛という「自衛隊殺し」な過去の遺物を放棄し、政治的合理性を考慮しつつ、軍事的合理性の極大化を図ること。日本の安全保障戦略の根幹を成すべきはそれであろう。
 
無論、それが平和主義の放棄であるとか、軍国主義への道であるという批判は当を得ない。
 
すべては日本の平和のため、再び戦争の惨禍が起ることのないようにするためである。