leaner and meaner――スリム化して精強にする

世界中に軍を展開するアメリカは各国軍の再建を担っていて、米軍のノウハウを移植することで軍と軍とのインターオペラビリティ(相互運用性)の効率化を図っている。これらの任務で中心的な役割を果たすのが、特殊部隊が主体となって組織された、いわゆる軍事顧問団である。

 

国が違えば当然ではあるが、実は同じ国の軍隊でも軍種によって組織文化は全然違う。

 

たとえば、普天間基地には米海兵隊の航空部隊の飛行場が敷設されているが、これを嘉手納基地に移設することができない理由の一つとして、嘉手納は米空軍の飛行場であり、海兵隊と空軍が飛行場を共有するのは互いに「ありえない」からであるとも言われる。

 

また、陸・海・空自衛隊では、部隊の空気や隊員の雰囲気は全く異なる。組織文化が異なれば、当然それぞれの「常識」も違う。もし各々の隊員、特に指揮官がそれらの「常識」に囚われてしまえば、円滑な統合運用は覚束ない。東日本大震災のような自然災害や、あるいは外敵の急襲などの緊急事態が起きた際には、軍種間のインターオペラビリティが危機管理の大きな鍵を握る。だからこそ、幹部自衛官、すなわち陸・海・空自衛隊の指揮官・幕僚となるべき者が一堂に集い、教育訓練を受ける防大には大きな価値があるのだ。

 

それはともかく、現代の軍隊が担うオペレーションの特質から、軍種間・軍隊間のインターオペラビリティの重要性は増すばかりである。無論、国際政治や安全保障の分野でインターオペラビリティといえば、同盟国間の相互運用性を指すことが多く、日本にとっては米軍とのインターオペラビリティが極めて重要になる。

 

話を戻すと、米軍はアメリカの世界戦略に基づき、同盟国をはじめとする各国軍の「米軍化」を進めてきた。そしていま最もホットなのが「イスラム国」掃討のためのイラク軍の再建であるが、ここ十数年の苦い教訓からアメリカはその戦略を一新したという。

 

その新戦略が 'Leaner, meaner'(部隊をスリム化し、精強にする)であるというのが以下の記事。


U.S. seeks to build lean Iraqi force to fight the Islamic State - The Washington Post

 

政府高官によれば、オバマ政権としては定員45000人の9個軽歩兵旅団を先遣隊の中に新設することを構想しているという(※)。そして陸軍全体を強化することを断念する代わりに、この部隊を集中的に訓練する。非対称戦を想定した対イスラム国戦略としての、イラク陸軍のスリム化による精強化である。

 

(※) 旅団( Brigade)とは約1600~6000人で構成される陸軍の部隊編成単位。ちなみに旅団より1スケール小さな編成を連隊(Regiment)と呼び、旅団より1スケール大きな編成を師団(Division)と呼ぶ。

 

現代の軍隊の最大のコストは人件費であり、兵士一人を育成するのにも莫大な金と時間が掛かってしまう。さらには一昔前に比べれば人命のコストも高くつくようになっていることから、それならばいっそのこと少数精鋭の士に対し、より質の高い訓練を施す方が費用対効果は高くなる。

 

限られた資源の中で量と質のどちらをとるかという選択は、非常にシンプルでありながらも目標の達成にダイレクトに影響する。的確な彼我の状況判断に加え、あらゆる手持ちのカードを比較考慮し、相手の動きに対してこちらは何を選ぶか、あるいは何を捨てるかを迅速に決断することができるということが、戦略的であるということなのである。

ヘーゲル米国防長官辞任

24日、米国防長官チャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)の辞任が発表された。

 

退任は本人の意向という体ではあるが事実上の更迭らしく、特に対「イスラム国」政策に関して度々オバマと意見が食い違っていたとのこと。

 

24日付のニューヨーク・タイムズの記事によれば、ここ数カ月間、オバマはしょっちゅうヘーゲルを無視して直接デンプシー(Martin E. Dempsey )統合参謀本部議長とやり取りしていたらしい。

 

25日付のワシントン・ポストには、「オバマ大統領は、ヘーゲル長官の対イスラム国戦争およびイラクとシリアにおける米軍のオペレーションの監督能力に対する信用を失ったのだ」という米政府当局者の言葉が引用されている。

 

ちなみにヘーゲルといえば、尖閣日米安保条約第5条【共同防衛】の適用範囲内であることを、国防長官として初めて明言した人物である。

官房長官ヘーゲル辞任に関するコメントでこれについて触れていた。

 

向こうの記事でも日米同盟に触れているものがあるかどうか、ここ2~3日数紙の記事を読み漁ってみたものの結局見つからなかった。まあそりゃそうか。

 

後任は未定であり、複数の候補の名が挙がっているが、適任とされる候補者は悉く渋っていると報じられている。米国防長官とか超うらやましいけどなー。

在沖縄米軍のプレゼンスにみる日米同盟の今日的意義②

在沖縄米軍のプレゼンスにみる日米同盟の今日的意義①

 

在沖縄米軍の存在意義

 

(1)なぜ沖縄に米海兵隊が必要なのか

上述したように、アメリカ側からみた日米同盟存続意義の一つとして日本の地政学的重要性が挙げられるが、これは在沖縄米軍のレゾンデートルに直結するものでもある。在沖縄米軍の存在意義ないし在沖縄米軍基地の役割を検討する上で、まず、在沖縄米軍の中心部隊である海兵隊がなぜ沖縄に必要とされるのかを理解する必要がある。

 

防衛大学校安全保障・危機管理センターの山口昇教授は、『中央公論』2010年5月号に掲載された「沖縄に米海兵隊が必要な五つの理由」の中で、在沖縄海兵隊の役割と機能、および存在理由について論じている。これによれば、第一に海兵隊が緊急対処能力に優れており、定期的にアジア地域を遊弋し、スマトラ沖地震の際の救援活動では中心的な役割を果たした実績があること。第二に、海兵隊の基地が小規模ながら存在することによって、朝鮮半島での有事の際には前方展開のための拠点となり、増援も円滑に受けられること。第三に、日本本土、朝鮮半島および台湾からそれぞれ約1000キロメートルに位置するという沖縄の地理的条件の良さ。第四に多国間演習等を通じて、アジア地域の信頼醸成という面で機能していること。そして第五に、日米同盟は日本側の基地の提供とアメリカの軍事力による抑止力、あるいは東アジアにおける国際秩序の提供という、非対称ではあるが一定のバランスの上に成り立っていること。ゆえに基地の撤去は、日米同盟の根幹を揺るがすことになりかねないのである。

 

たしかに、沖縄では米軍機の騒音や事故の危険が絶えず、米兵による不祥事も地元住民の反感を買い続けてきた。また、在日米軍施設・区域の7割以上が沖縄に集中していることに対し、負担の軽減を要求する声も後を絶たない。それにも拘らず沖縄に米海兵隊が存在し続けてきたのは、そのような反米感情の影に隠れがちである確固とした存在理由が沖縄の海兵隊にあったからに他ならない。

 

(2)在沖縄米軍基地の役割

このような米海兵隊の沖縄駐留理由を踏まえ、陸・海・空軍を含めた在沖縄米軍基地の役割とはいかなるものであろうか。

 

沖縄には、海兵隊第Ⅲ海兵遠征軍、空軍第18航空団、陸軍第1特殊作戦群第1大隊および海軍の支援部隊などが所在する。これらの米軍部隊の基地は、前方展開部隊のための駐留基地、北東アジアにおける有事の際の作戦基地、および北東アジア以遠の地域において米軍が行動する場合の後方支援基地としての役割を担っている。

 

たとえば、海兵隊や陸軍が米本土から北東アジアに海路展開する場合には最低3週間を要するが、沖縄からであれば、朝鮮半島まで2日、日本本土まで1~2日で展開できる。

 

また、沖縄の米軍基地には、前方展開部隊が作戦するための根拠地としての役割があり、特に嘉手納に所在する米空軍の作戦を展開する上で、沖縄の地理的位置は重要な意味をもつ。沖縄は朝鮮半島から約1000キロメートル、九州から800キロメートル、台湾海峡から900キロメートルの位置にある。戦闘機の行動半径が約1200

キロメートル以上であることから、北東アジアから南シナ海北部にかけて、嘉手納に所在する戦闘機によってカバーすることができる。

 

さらに、沖縄に所在する米軍基地は、米本土およびハワイから東アジア以西に向かう中継基地であり、補給品や装備品をいったん集積する後方支援上の中継基地、あるいは米本土から来援する部隊にとっては、作戦任務に従事する前に、最終的に補給・整備や訓練を行う作戦準備地域(Staging Area)としての意味がある。

 

つまるところ、沖縄に所在する米軍基地は、アメリカが地球規模での前方展開態勢を維持する上で戦略的に大きな意味を有しており、在沖縄米軍部隊と自衛隊との有機的な連携は、日本はもちろん東アジアの平和と安定に寄与するものである。同時に、韓国などのアメリカの同盟国にとっても、在沖縄米軍基地はきわめて重要な意味をもっている。

 

日米同盟の今日的意義と今後の展望

 

(1)日米同盟の今日的意義

これまで述べてきたように、沖縄に在日米軍が集中する最大の理由としては、アメリカの前方展開態勢維持のための拠点となりうる沖縄の地理的重要性が第一に挙げられるが、日米同盟の今日的意義を考えるときもまた、アメリカの対中戦略にとって日本の地理的重要性がきわめて大きいことを念頭に置く必要がある。

 

アメリカは中国のA2/AD(Anti-Access/Area-Denial:接近阻止/領域拒否)戦略を警戒しており、将来日本が西日本から南西諸島周辺にいたる海空域と島嶼部の防衛について堅固な態勢を整えることができれば、わが国領域周辺で行動する米軍にとって自然の掩護となり、アメリカが西太平洋におけるアクセス拒否環境を克服する上での重要な支援となるからである。したがって、中国の軍事的プレゼンスが膨張し続けている今日において、日米両国が協調する余地は極めて大きく、ここに日米同盟の今日的意義の一つを見出すことができる。

 

とはいえ、日米同盟が失ってはならない安全保障上の国益であることを理由に、沖縄ばかりに負担を押し付けていいということにはならない。いかに沖縄の地元住民の負担を軽減するかという問題に対して政府は真摯に対応し、国を挙げて問題の早期解決を図っていくことが求められる。

 

ところで、同盟とは「安全保障問題に関して協力するための二国間または多国間の公式協定」(ウォルファーズ)、あるいは「特定の状況下における構成国以外の国に対する軍事力の行使(または不行使)のための諸国家の公式の結び付き」(スナイダー)などと定義される。いずれの定義に拠るにしろ、同盟の鍵は同盟国間で共同軍事行動(共同防衛)をいかに取るかにかかっているといえる。このような観点からすれば、日米同盟の非対称性は同盟の不完全性を意味するものであるともいえ、そこから同盟負担の不公平さや日本の安保ただ乗り論が議論されることもある。

 

以前の民主党に至っては、ホストネーションサポートの削減や地位協定の見直しなどを一貫して主張していたが、日米同盟の本質的な構造と、今日の日本とアメリカの経済力、軍事力における歴然とした差を鑑みれば、日米同盟ないし日米関係が対等なものであるとは言い難い。

 

しかしながら2009年、当時の民主党党首であった鳩山由紀夫元首相は「対等な日米関係の構築」を掲げ、後に普天間基地を「最低でも県外」に移設すると発言し、日米同盟の根幹を揺るがしかけた。結局、この一連の事件を通して日本は、日米同盟は「物と人との協力」であり、本質的に非対称なものであることを再認識することになった。すなわち、日本側からみた日米同盟のもう一つの今日的意義は、新安保条約が締結された50年前と同様に、日本が米軍に基地を提供する代わりに、アメリカが人を提供して日本の安全を確保するという日米同盟の本質的側面にある。

 

たしかに、日本(特に沖縄)は米軍基地の受け入れというコストを払ってきたが、それは同盟関係を破棄し、自主防衛路線に走ることによって生じるコストに比べれば遥かに割安であって、日本は日米同盟関係を基盤に「経済重視・軽軍備」という吉田路線を選択し続けてきたからこそ、経済的繁栄という恩恵を被ることができたのである。

 

日米同盟関係において、日本は同盟の非対称性を是正してアメリカとの間に「対等な関係」を築こうと模索するよりは、むしろ日米同盟の非対称性を受け入れ、いかにアメリカを日本の安全保障にコミットさせ機能させるか、という本質的な問題に努力を傾注していけるかどうかに、今後の同盟関係の行方がかかっているように思われる。無論、同盟の深化という意味では「拡大均衡」を可能な限りめざすべきではあるが、憲法9条を基盤とする日本の安全保障政策には、それにも限界があるといわざるを得ない。

 

(2) 日米同盟・日米関係の今後の展望

米太平洋軍司令部で海兵隊司令官を務めていたキース・スタルダーは、「なぜ海兵隊は沖縄にいなければならないのか」という質問に対し、「地理的要件が重要だからだ」と答えている。スタルダーのように日本の地理的特性を日米同盟の効用として捉える見方はアメリカの軍事エリートのみならず、政府関係者の主流をなしているといわれるが、裏を返せばアメリカは地理的特性以外に日米同盟の利点を見出せていないのである。

 

それでも、中国の台頭という共通の課題を前にして日米同盟関係を深化させ、東アジアの安定を堅持していくことは両国にとっての国益であり、逆に中国の脅威が消失しない限り、同盟関係を解消することはどちらにとっても得策ではない。

 

2009年のオバマ政権誕生以来、アメリカは一貫してアジア重視の姿勢を見せてきた。2010年2月に米国防省が公表したQDR2010ではアジア太平洋地域に対する関心を前面に押し出しており、「在日米軍の長期的なプレゼンスを確保し、米国領土の最西端に位置するグアムを、この地域における安全保障活動のハブにする二国間のロードマップ合意実現に向けて、日本とともに努力する」ことが記されている。また、クリントン国務長官(当時)が『フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)』2011年11月号に寄稿した「アメリカの太平洋世紀(America’s Pacific Century)」では、「(国際)政治の将来が決定されるのはアジアにおいてであり、アフガニスタンイラクではない。そしてアメリカはそのような動きの中心に位置する」として、アジア太平洋地域の重要性を訴えている。2012年1月には新「国防戦略指針(Sustaining U.S. Global Leadership: Priorities for 21st Century Defense)」が公表され、国防体制におけるアジア太平洋重視、アジアの同盟国との関係強化などが打ち出された。さらにQDR2014においても、アメリカの「リバランス政策」が再確認されている。

 

「テロとの戦い」の終息を前提にしてはいるものの、アメリカは今後も対外政策におけるアジア・シフトを促進していく。これに伴い、日米両国はともに同盟関係を強化していく必要性が増していくであろう。北東アジアの不安定化、すなわち日本を取り巻く安全保障環境の脅威が増大するほど、その脅威に対処しようとする限りにおいて、日米両国は同盟関係を深化させていかざるを得ないのである。

 

また、戦略的にきわめて重要な場所にある基地を提供し、政治的にも安定し、ホストネーションサポートを提供する経済的余裕があり、基本的価値観と戦略を共有する国として、アメリカにとって同盟国日本は既にかなり高い価値を有している。日米同盟の今後の展望として、日本がアメリカにとっての同盟国としての価値をさらに高めるためには、アメリカとの信頼醸成を継続的に進展させていくことはもちろん、たとえば2014年7月1日に閣議決定された集団的自衛権行使の容認に基づく日米共同行動に向けた迅速な法整備や部隊レベルでの具体的な準備、軍拡(防衛費増額)によるわが国周辺の安全保障上の脅威に自力で対抗しうる程度の「自強」政策を進めていくなどの抜本的な改革が必要になる。日本の防衛費増額に関しては、対中抑止としての効果も大いに期待されよう。

 

そしてその前提となるのは、国内政治の安定、および教育水準の高度化、企業における組織効率の向上ないし質の高いコーポレート・ガバナンスに向けた人的資本への投資と、研究開発(R&D)投資の充実などに基づく生産技術の向上による長期的な経済成長を軸とした、国力の底上げである。特に「失われた20年」から脱却できずに低迷し続ける日本経済の復活の如何は、日本の国際競争力はもちろん、今後の安全保障政策を大きく左右しかねない。コンストラクティビストが指摘するように日本の反軍国主義の社会規範が安定的なものであるとすれば、国家経済のマージンなくして防衛費の増大をはじめとする「自強」政策が実現することは考えにくい。

 

おわりに

日本経済の復調が待たれる一方で、アメリカも2011年にはパネッタ国防長官(当時)が10年間で4870億ドル(約37億円)という大幅な国防費削減を実施する旨を明言している。これに伴い、アジア太平洋における海兵隊と陸軍の体制は維持しつつも、地上戦力を中心に米軍全体の規模は縮小されていく。このような現状を踏まえ、日本はアメリカのアジアにおける政治的コミットメントと軍事的プレゼンスを通じてこの地域の平和と安定をめざしていく上で、防衛法制の整備を含む包括的な安全保障体制の構築を進めつつ、アメリカとの間で綿密な政策調整を行いながら、併せて米軍・自衛隊における部隊レベルでの連携を相互に深めていかなければならない。さらに、沖縄県をはじめとする地元住民の負担軽減といった問題にも同時並行的に取り組んでいくことが求められる。

 

本稿では、日本を取り巻く安全保障環境と日本の安全保障戦略、およびアメリカの東アジア戦略を概観しつつ、在沖縄米軍の存在意義・存在理由の再検討を行い、日米同盟の今日的意義を日本の地理的重要性と、「物(基地)と人(在日米軍)との協力」という日米同盟の本質的側面の二つに着目して論じた上で、日米同盟の今後の展望として、日米両国が同盟関係を深化させていかざるを得ない状況にあることを指摘してきた。そして、日本がアメリカにとっての同盟国としての価値を高めていくためには、アメリカとの信頼醸成を進めていくとともに、防衛費の増額をはじめとする「自強」・対中抑止政策を進めるべきであり、その前提には政治の安定と生産技術の向上に基づく経済成長が欠かせないことを明示した。

 

日米同盟は、日本が軽武装にとどまりアメリカに対して安全保障面での協力を求める限り、日本にとって捨ててはならない安全保障上の国益であり、同時にアメリカにとっても、アジア太平洋地域を中心に世界戦略を展開するための重要な国益である。

 

しかし、これまで永続的な同盟関係が存在してこなかったという歴史的事実も見落とすべきではない。中国だけでなく、日本以外のすべての周辺国が軍事費を増大しているという現状を踏まえ、日本は今後、アメリカとの共通の戦略目標に向け同盟関係を深化するための努力を続けながらも、数十年先の日本の安全保障を見据え、国際平和活動等を通じて国際的連携を重視しつつ、国防の自助能力を継続的に高めていくべきであろう。

 

 

○引用・参考文献

Hillary Clinton, “America’s Pacific Century,” Foreign Policy, November 2011, 

<http://www.foreignpolicy.com/articles/2011/10/11/americas_pacific_century>.

Elizabeth C. Economy, Obama to Asia: It’s Our Party, Council on Foreign Relations, November 17, 2011, <http://blogs.cfr.org/asia/2011/11/17/obama-to-asia-its-our-party-2/#more-6487>.

United States Department of Defense, Quadrennial Defense Review Report,February 2006.

United States Department of Defense, Quadrennial Defense Review Report,February 2010.

United States Department of Defense, Quadrennial Defense Review Report,February 2014.

United States Department of Defense, Sustaining U.S. Global Leadership: Priorities for 21st Century Defense, January 2012.

 

Thomas U. Berger, Cultures of Antimilitarism: National Security in Germany and Japan,  Baltimore: Johns Hopkins University Press, 1998.

Peter J. Katzenstein, Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan, Ithaca: Cornell University Press, 1996.

Andrew Oros, Normalizing Japan: Politics, Identity and Evolution of Security Practice, Stanford: Stanford University Press, 2008.

 

リチャード・L・アーミテージ、ジョセフ・S・ナイ、春原剛『日米同盟vs.中国・北朝鮮』文春新書、2010年。

五百旗頭真編『戦後日本外交史』有斐閣、2006年。

石川卓「「アメリカにとっての同盟」と同盟理論」『日米関係の今後の展開と日本の外交』国際問題研究所、2010年。

神谷万丈「日本の安全保障政策と日米同盟―冷戦後の展開と今後の課題」『日米関係の今後の展開と日本の外交』国際問題研究所、2010年。

久保文明編『オバマ政権のアジア戦略』ウェッジ選書、2009年。

坂本一哉『日米同盟の絆――安保条約と相互性の模索』有斐閣、2006年。

西原正、土山實男監修、平和・安全保障研究所編『日米同盟再考――知っておきたい100の論点』亜紀書房、2010年。

船橋洋一『同盟漂流』岩波書店、1997年。

防衛省編『平成26年版 日本の防衛 防衛白書』日経印刷、2014年。

森本敏編『漂流する日米同盟』海竜社、2010年。

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』新潮社、2010年。

柳澤協二『抑止力を問う』かもがわ出版、2010年。

山口昇「沖縄に米海兵隊が必要な五つの理由」『中央公論』2010年5月号、中央公論新社、2010年。

山口昇「米国のアジア「回帰」と日米同盟」『海外事情』2012年7・8月号、拓殖大学海外事情研究所、2012年。

渡邉昭夫監、世界平和研究所編、北岡伸一『日米同盟とは何か』中央公論新社、2011年。

在沖縄米軍のプレゼンスにみる日米同盟の今日的意義①

11月23日(日)に京都大学11月祭にてセミナー講演を開催します。

テーマは「普天間基地移設問題」です。

 

昨日16日に投開票が行われた沖縄県知事選では現職の仲井真知事が敗れ、普天間基地辺野古への移設阻止を標榜する前那覇市長の翁長氏が当選しました。しかし日米合意から20年近く経過している辺野古への基地移設をこれ以上滞らせてしまうというのは、日本の安全保障政策上、極めて非合理的であり非現実的であると言わざるを得ません。以前の記事でも取り上げたように、日本の対中抑止力という観点から日米同盟の深化は欠かせないからです。

 

しかしその一方で、米軍基地の存在、時に米軍兵が沖縄の地元住民の生活に与えてきた影響の負の側面を軽視すべきではありません。可能な限り沖縄の負担を国全体で分担していく政府の努力は不可欠です。沖縄の在日米軍基地の抑止力を維持・拡大しつつ、地元住民の負担を軽減する政策を追求することが求められます。

 

というわけで、普天間基地移設問題を考える上での前提とも言うべき「日米同盟の今日的意義」について、在沖縄米軍のプレゼンスとその抑止力という観点から考えみたいと思います。

 

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第二次世界大戦で敗北を喫した日本は、アメリカ主導の下、連合国軍総司令部GHQ)の支配下に置かれ、一時的にではあるが主権を失った。日本の独立の契機は1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ平和条約締結であり、この対日平和条約締結と同日、日本はアメリカとの間に日米安全保障条約を締結した。この日米安保条約締結以来、日本の歴代内閣は、アメリカとの同盟関係を基軸とし、「親米」「経済重視・軽軍備」を掲げるいわゆる「吉田路線」を外交・安全保障政策の基盤に据えてきた。

 

日米同盟の本質は、日本が軽武装にとどまり国外での軍事的なコミットメントを最小限に抑える一方で、米軍に基地を提供することによって、アメリカに対して安全保障面での協力を求めるというものである。それゆえ、日米同盟が日本の安全保障政策の根幹をなす限りにおいては、特に沖縄にみられるように、在日米軍施設・区域が周辺地域社会ないし地元住民の生活に与える影響に関する問題は、日本の安全保障政策の重荷として常に付き纏うもののように思われる。そして日米同盟に付随する沖縄の米軍基地問題についてアメリカ政府側は、あくまで日本の中央政府が解決すべきものであるという姿勢を崩すことはない。

 

しかし、日本のみならず東アジアの平和を米軍に依存する吉田路線の代償として、米海兵隊をはじめ陸・海・空軍の基地が集中する沖縄の地元住民は、日本政府に多大な犠牲を押し付けられてきた。現在沖縄には、在日米軍施設・区域の約74%が集中していることもあり、本土に比べ反米感情が強く、戦後から現在に至るまで地元住民を中心とした反米抗議デモが展開されてきた。たとえば、1995年の米兵少女暴行事件に対する抗議デモや、2004年の在日米軍ヘリ墜落事件直後の沖縄国際大学での抗議集会には、それぞれ数万人を超える参加者が押し寄せている。

 

それにも拘らず、なぜ在日米軍基地は沖縄に集中し続けており、これまで移転が実施されてこなかったのであろうか。以上のような問題意識に基づき、本稿では、日本の安全保障戦略およびアメリカの東アジア戦略を概観しつつ、海兵隊を中心に在沖縄米軍のプレゼンスを再検討することで、日米同盟の今日的意義を考察したい。また併せて、日米同盟の今後の展望にも簡単に触れたい。

 

日本の安全保障戦略と日米同盟

 

(1)日本の安全保障環境

2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」の冒頭にも見られるように、近年、日本の安全保障環境はますます厳しさを増しているといわれる。

 

たとえば、朝鮮半島においては非武装地帯を挟み南北150万以上の正規軍が対峙しており、台湾海峡においても中台の軍事力が拮抗している。また、北朝鮮のミサイル発射実験や核開発は、隣国である日本からすれば、まさに伝統的な安全保障上の脅威が身近なところにあるということになる。そして、アルカーイダや「イスラム国」のようなイスラム原理主義勢力や過激派によるテロの脅威を強く感じることはないものの、北朝鮮による拉致問題や麻薬の密輸に代表される不法行為は、紛れもなく安全保障上の脅威である。

 

そして何よりも懸念されるのが、過去25年間、日本の軍事費がほぼ横ばいで推移して来た一方で33倍に増強してきた中国の動向である。ASEAN諸国との軍事接触を見てもわかるように、中国にとって小規模な軍事力の行使は外交の一手段にすぎない。また、2007年1月に中国が行った衛星破壊兵器による自国の衛星撃墜実験にみてとれるように、宇宙での破壊行為の蓋然性は、アメリカや日本がGPSや衛星通信などの宇宙インフラに大きく依存していることを鑑みれば、新たな脅威の顕在化に他ならず、さらに「第五の戦場」ともいわれるサイバー空間における中国の動向にも配慮する必要がある。

 

以上のように日本の安全保障環境は、きわめて多数の脅威に取り巻かれている状態にある。

 

(2)日本の安全保障戦略における日米同盟の位置付け

このような脅威に晒された日本の安全保障戦略とはいかなるものであるのか。

 

戦力の不保持と交戦権の否認を定め、軍事力の役割をきわめて限定する憲法9条は、賛否どちらの立場に立つにしろ、日本の反軍国主義の政治文化ないし社会規範を象徴するものである。たとえば、トーマス・バーガーやピーター・カッツェンスタイン、アンドリュー・オロスといった海外の研究者にも指摘されるように、憲法9条は日本の安全保障政策において主要な基本原則として作用し続けており、戦後日本の反軍国主義的安全保障論の要であると位置付けられる。

 

しかしながら、国内における反軍国主義の気風と国家の安全保障政策は切り離して議論されるべき問題である。反軍国主義であるから自国の安全を慮らないということにはならないはずであるが、実際のところ、日本の安全保障戦略というのは、同盟国アメリカの安全保障戦略の一部として親米の安全保障論にいきつくか、あるいは逆に非現実的な反米の非武装安全保障論に走るかのいずれかを語るにとどまってきた。

 

現行の憲法9条を前提にするのであれば、日本の安全保障戦略は日米同盟を基盤とし、日米関係の発展・深化を図りつつ、国家防衛のための最大限の自助努力を重ねていくというスタンスが現実的である。ゆえに、日本の安全保障環境が多数の脅威に取り巻かれている現状において、日米安保体制は「わが国防衛の柱」であり、日米同盟は「アジア太平洋地域の平和と安定のために不可欠な基礎をなすもの」であるといえる。2014年7月1日、限定的ではあるものの日本が集団的自衛権を行使できるよう憲法解釈の変更が閣議決定されたのは、まさにこういった背景がある。

 

アメリカの東アジア戦略

 

(1)アメリカにとっての東アジア

安全保障をアメリカに依存する日本に対して、アメリカは日本を、あるいは日本が属する東アジア地域をどのように位置付けているのであろうか。

 

オバマ政権外交政策における最優先課題は、ブッシュ政権から引き継いだアフガニスタン戦争の処理であると考えられるが、これに次いで優先的外交課題と位置付けられるのが、急速にその勢力を拡大し続ける「イスラム国」への対処、大量破壊兵器WMD)の拡散およびテロの防止、中東和平、イランと北朝鮮の核開発問題、ウクライナ問題の渦中にあるロシアとの核軍縮、米中関係の安定化などである。これらの中でどれが最も重視されるかはその時々の状況によって変動するであろうが、東アジアには中国と日本という二大経済大国が存在する以上、アメリカにとってこの地域の重要性はきわめて大きなものであるといえる。

 

また、東アジアには安全保障面に関しても、アメリカにとって複数の懸念事項が存在する。とりわけ緊迫している問題は北朝鮮の核・ミサイル開発であり、あるいはそれらの兵器のテロ組織への拡散である。より中長期的な安全保障上の問題としては、中国の着実な軍事力強化であり、また、将来にわたる米ロ間の大幅な核軍縮に伴う中国の核弾頭保有数の動向も懸念材料となっている。これらの懸念事項が存在する限り、東アジアはアメリカにとって決して軽視できる地域にはなりえない。事実、2011年11月17日にオバマ大統領はオーストラリアのダーウィンでの演説において、アジア太平洋地域を重視していく旨を宣言しており、以来「リバランス」政策が推進されてきた。

 

(2)アメリカの東アジア戦略における日米同盟存続の意義

オバマ政権の東アジア重視戦略が表明されて以降、中国はアメリカのアジア重視政策は対中封じ込め政策であると非難し、不快感を露わにしてきたが、オバマ大統領は21世紀をアジア太平洋地域の時代であると位置づけ、TPPの枠組みをアメリカが主導することによって、アジア太平洋地域においてリーダーとしての役割を担おうとしている。また、アメリカの国際政治に対する基本戦略は、世界的影響力を維持して自国の自由、民主主義、安全と経済的繁栄を保持することであり、そのためにはユーラシア大陸の両端に位置する島国であるイギリスと日本を重要拠点として確保する必要がある。

 

さらに、東アジアにおける日本の地政学的重要性と日本の国力は、アメリカがアジア地域での政治的、軍事的影響力を維持し、中東などへの戦力投入のための前方展開をし、かつ自国の経済的安寧をはかるための「要石」となっているのである。特に日本の地政学的重要性は、日米同盟が存続することによってアメリカ側が得る最大の便益であり、アメリカの東アジア戦略、ひいては世界戦略に欠かせないものであることから、今後もアメリカは日米同盟を重視していくことが予想される。

 

在沖縄米軍のプレゼンスにみる日米同盟の今日的意義②

世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争②

世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争①

 

アフガニスタン戦争で勝利したアメリカはその矛先をイラクに向けた。ブッシュ大統領は2003年1月の一般教書演説で、イランと北朝鮮の「無法国家」が大量破壊兵器の開発を進めていると述べるとともに、「さらに大きな脅威」としてイラクを名指しすることで、対テロ戦争の文脈にイラクを位置づけた。しかしその一方で、9・11テロとの関係が希薄であると考えられていたイラクに対する武力行使には多くの国が疑問を呈した。

 

2.イラク戦争

 

(1)ブッシュ・ドクトリン

アメリカ外交の伝統的な教義の一つに「孤立主義」があるが、「戦争を防止するために戦う権利があり、しかもアメリカだけにその権利が与えられるといる」という思想を基盤とするブッシュ・ドクトリンは、ユニラテラリズム(単独行動主義)であるという見方がある。

 

二元論的な思考と宗教的な道徳観を重視するブッシュは、2001年9月20日、テロ後初めて世界に向けて発したメッセージで、「世界は、文明と善とともにあるか、野蛮と悪とともにあるかを選ばなければならない。間違った選択をする諸国は、覚悟を決めなければならない」と宣言した。この言葉にも見てとれるように、アメリカの対外積極路線を正当化するブッシュ・ドクトリンは、アメリカの新しい戦略の本質は軍事力であり、潜在的な敵が攻撃の機会をつかむ前に、必要とあれば一方的に相手を攻撃する、というものであると捉えることができる。すなわちブッシュは、戦争をしないことで平和を構築しようとするのではなく、予防戦争をすることによって平和を目指そうとし、さらに「予防」戦争を「先制」攻撃と言い換えることで国民の不評を緩和させることを企図しており、イラクにおいてこれを実践したのである。

 

ブッシュの強硬的な対外政策の背景には、外交的タカ派である「主張するナショナリスト」や、「ネオコン」の影響があったとされる。2001年以前の外交政策に直接関与したことのなかったブッシュは、その補佐官や閣僚のもつ考え方や情報に依存せざるを得なかった。そして、ブッシュ政権には、ポール・ウォルフォウィッツに代表されるネオコンや、ディック・チェイニードナルド・ラムズフェルドリチャード・アーミテージコンドリーザ・ライスといった外交的タカ派がその中枢にいたのである。

 

(2)「ネオコン」と「主張するナショナリスト

ブッシュ政権内では、大統領を補佐する2つのグループが存在した。1つのグループは「ネオコン」で、ポール・ウォルフォウィッツやルイス・リビー、外交政策チームの一員ではないが、国防政策委員会議長を務めていたリチャード・パール、元CIA長官のジェームズ・ウルジーらがこれにあたる。第2のグループはディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官ら「主張するナショナリスト」が率いるものである。前者はアメリカ至上主義の理想主義者であり、後者は力によって競争相手国を脅し、アメリカの安全保障や企業経営に対する脅威を叩こうとする政治家であった。両グループは、国際機関を軽蔑し予防戦争を唱導する点、イラクサダム・フセイン政権の打倒を外交政策の最優先課題にすべきだとする点においては意見が一致していた。

 

ブッシュ政権発足から10日目、最初の国家安全保障会議NSC)の議題はイラク問題に集中していた。その7ヵ月後に同時多発テロ事件が発生し、その対応として、当初はアフガニスタンに侵攻しオサマ・ビン・ラディンと彼を庇護するタリバン政権を転覆させる方針がとられ実行された。タリバン政権を崩壊させた後、アメリカの対外政策における優先順位はサダム・フセインイラクに移っていった。

 

2002年8月22日にナッシュヴィルで行われた演説において、チェイニー副大統領は、対イラク政策に関しては慎重に事を進めるべきだというパウエルらの議論に公然と反論し、サダム・フセイン核兵器入手を試みており、生物・化学兵器の増強をも試みていると断言し、サダム・フセイン大量破壊兵器を手にした場合、「彼は中東全体の支配権を握り、世界の石油供給の大部分を押さえようとするかもしれない」と述べた。政権の上層部で、サダム・フセインを権力の座から追い出すために戦争の急先鋒となったのはチェイニーであり、また政権の内部でイラク大量破壊兵器所有について最も強力に論じ立てたのも彼であった。副大統領をはじめ、ブッシュを取り巻く多くの政権スタッフがイラク攻撃への論調を強めてゆくにつれ、ブッシュの対イラク強硬姿勢も強まっていった。

 

(3)ブッシュの意思決定

なぜブッシュ大統領イラク攻撃を決断したのか、という問いに対しては様々な説がある。ブッシュをはじめ政府関係者らがイラクにおける大量破壊兵器の存在を確信していたこと、サダム・フセインとアルカーイダとの関連を強く疑っていたこと、アメリカ国内における石油企業と米国政府の関連(イラク石油の確保)などである。また、イスラエル・ロビーの政府に対する圧力、およびユダヤネオコンの存在が、アメリカがイラク戦争開戦に踏み切った第一の要因であったとする見方もあり、ハーバード大学のスティーブン・ウォルト教授とシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授はその著書において、イスラエル・ロビーがイラク戦争開戦の決定に大きな影響を与えたことを論じている。

 

いずれにせよ、アメリカのブッシュ大統領イラク攻撃へと突き動かした要因を単一のものに求めることはあまりに短絡的であり、またその原因を証明することも極めて困難だといわざるを得ない。しかし、対イラク政策を大統領の仕事の最優先課題に据えた側近たちの影響、特にアメリカの「自由」と「民主主義」を人類普遍の価値観であると捉え、これを世界に拡大・啓蒙することがアメリカの使命であるとするネオコン思想が、アメリカの対外政策におけるブッシュ大統領の意思決定に大きな影響を与えていた可能性は高い。

 

また、2002年8月20日、ブッシュ大統領はジャーナリストのボブ・ウッドワードによるインタビューにおいて以下のように語っている。

 

・攻撃は行なうかもしれないし行わないかもしれない。まだ見当がつかない。いずれにせよ、世界をより平和なものにするという目標のためのものになる。

 

・いまアメリカは独自の立場にある。われわれはリーダーだ。そして、リーダーは、他者の意見をきく能力に加え、行動力を兼ねそなえていなければならない。

 

・武力および武力の行使について、われわれはすべての方面の合意を求めるつもりはない。だが、有益な結果をもたらすような行動―自信に裏打ちされた行動は、その勢いによって二の足を踏んでいた国家や指導者を従わせ、平和にと向かう前向きな動きが生まれたのを示すことができる。

 

これらのブッシュの発言から、イラク戦争ネオコンや外交的タカ派の政権スタッフの考え方や政策提言に強い影響を受けたブッシュ大統領が抱いた、「先制攻撃と単独行動主義によって平和を実現し、世界を作り直す」というアメリカ例外主義的かつ極めて理想主義的な理念によって始められた戦争であったと捉えることもできよう。

 

イラク戦争開戦の理由については多様な説が展開されてきたが、ブッシュ大統領を取り巻くネオコンをはじめとする政府関係者の存在が、ブッシュ大統領の意思決定に与えた影響は決して軽視できるものではないように思われる。

 

イラク戦争による米軍兵の死者数は4481人を数えている。また、アメリカがイラクに費やした額に関しては2008年時点ですでに合計3兆ドルに達していたと、2008年2月23日付のタイムズ紙で報じられており、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授によれば2001年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授によれば、イラク戦争の総コストは「現実よりの保守的シナリオ」で4兆3,000億ドル、「最良シナリオ」では、1兆8,000億ドルに達すると主張している。

 

2011年12月14日、米軍はイラクから完全撤退し、オバマ大統領はイラク戦争の終結を宣言したが、アメリカが8年に及ぶイラク戦争によって得たものは、アメリカが戦争で被った損害に比べ遥かに少なかったように思われる。

 

本稿では、G・W・ブッシュ政権時の2003年にアメリカがイラクに侵攻し、イラク戦争を開始した要因について、ネオコンおよび外交的タカ派がブッシュの意思決定に与えた影響に着目しながら概観してきたが、なぜアメリカが合理的とはいえないイラク攻撃に踏み切ったのかに関して、単一の要因に帰結させることは難しいように思われる。しかし、ブッシュを取り巻いていた外交政策スタッフの「ネオコン」および「主張するナショナリスト」の語る言葉やアイディア、すなわち「世界の見方」が、対外政策の経験がなかったブッシュの意思決定に与えた影響の大きさに着目することは、複雑な国際政治を眺めるという観点からも一つの有用なアプローチであるといえよう。

 

 

○引用・参考文献

ボブ・ウッドワード『攻撃計画――ブッシュのイラク戦争』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、2004年。

ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、2003年。

大野元裕「損なわれた信頼と威信を回復するためのアメリカ中東外交の課題と期待」森本敏久保文明大野元裕他『オバマで変わるアメリカ 日本はどこへ行くのか』アスペクト、2009年、145-191頁。

佐々木卓也「理念外交の軍事化とその帰結」佐々木卓也編『戦後アメリカ外交史』有斐閣アルマ、2009年。

佐藤唯行『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか』ダイヤモンド社、2006年。

ジェームズ・マン『ウルカヌスの群像』渡辺昭夫監訳、共同通信社、2004年。

ジョン・J・ミアシャイマー、スティーヴン・M・ウォルト『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策副島隆彦訳、2007年。

 

Michael Hirsh, "Bush and the World," Foreign Affairs, (SEPTEMBER/OCTOBER 2002), pp.18-43.

Arthur M. Schlesinger, Jr., War and the American Presidency, W. W. Norton, 2005.

 

iCasualties: Operation Iraqi Freedom and Operation Enduring Freedom Casualties

文藝春秋オピニオン 2015年の論点100

本日11月13日発売の『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』に寄稿しています。

 

論点18「アメリカをあてにしすぎるな 尖閣は自分で守れ」(76-77頁)

 

よろしくお願いします。

 

文藝春秋オピニオン 2015年の論点100 (文春MOOK)

文藝春秋オピニオン 2015年の論点100 (文春MOOK)

 

 

世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争①

世界の見方は、国家指導者の政策決定、時に戦争開始の判断に多大な影響を及ぼす。そこで今回は、イラク戦争(2003-11)開戦決定過程において、アメリカのいわゆる「ネオコン」や「主張するナショナリスト」ら外交的タカ派の世界観がブッシュの意思決定に与えた影響を事例に取り上げる。

 

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2001年9月11日の同時多発テロにより、アメリカ資本主義の牙城ともいわれた世界貿易センタービルは完全に倒壊し、世界最強の軍事国家であるアメリカの国防総省ビルまでもが攻撃を受けた。G・W・ブッシュ大統領は、対テロ戦争の名目でアフガニスタン戦争を起こし、タリバン政権を崩壊させアルカーイダの掃討にほぼ成功した。さらにブッシュは、翌年1月の一般教書演説において、イラク大量破壊兵器を開発・拡散している「悪の枢軸」だと宣言し、その翌年にはイラクを攻撃したが、大量破壊兵器が見つかることはなく、イラク戦争は却ってアメリカの国際社会における権威を失墜させる結果となった。

 

イラク戦争におけるアメリカのコスト‐ベネフィットを見る限り、イラク攻撃が必ずしも合理的な政策判断であったとは言い難い。またサダム・フセインと9・11テロ事件との関係については、当初から様々なメディアで希薄であるともいわれていた。それにも拘らず、なぜアメリカはイラク戦争を仕掛けたのだろうか。本稿では、イラク戦争開戦までの経緯を振り返りながら、イラク戦争開戦要因の一つであるといわれる、ネオコンをはじめとする外交的タカ派の政策提言がブッシュの意思決定に与えた影響について再考することを試みる。まずは、アメリカが大きく関与していた1990年代の中東情勢からアフガニスタン戦争までの流れを概観していくこととしたい。

 

1.1990年代の中東~アフガニスタン戦争

 

(1)90年代の中東におけるアメリカの軍事戦略

1990年8月、イラククウェートに侵攻した。軍事侵攻の原因としては、イラン=イラク戦争の際の対イラク債権をクウェートが帳消しにせず、また石油価格などの面においても同じアラブ国家であるイラクを支援しなかったことなどが挙げられる。イラククウェート侵攻に対し国連安保理は非難決議を採択し、イラクへの経済制裁を開始した。しかしイラクは外国人を「人間の楯」として人質にするなどして抵抗したため、安保理は11月末、いわゆる武力行使容認決議(678号)を採択し、これに基づく多国籍軍による攻撃が行われた。

 

1991年1月から4月にかけての湾岸戦争では、「二聖地の守護者」を標榜し外国軍を受け入れるはずのなかったサウジアラビアをはじめとする湾岸諸国は、イラクの脅威に対抗してアメリカ主導の多国籍軍を支持し、その地に部隊を受け入れた。その結果、イラク湾岸戦争で敗れ、クウェートからの撤退、大量破壊兵器の破棄などの義務を負い、アメリカ主導の対イラク国際レジームの制裁下に置かれ続けることとなった(※)

 

(※) レジームとは、「国際関係の特定問題領域における、諸主体の期待が収斂するところの黙示的あるいは明示的な原則、規範、規則、意思決定手続の集合」(スティーヴン・クラズナー)、「諸国家の交渉によって合意された明示的なルールを備えた制度」(ロバート・コヘイン)。

 

また、1992年3月8日付のニューヨーク・タイムズ紙が「米国戦略計画はいかなるライバルも出現しないことを求める」の見出しで報じたアメリカ国防省の戦略の中に、以下の項目が含まれていた。

 

イラク北朝鮮等での核兵器、他の大量破壊兵器の拡散を防ぐため、軍事使用の計画を考える。これを許すと日独の核保有国化を誘導し、結果として米国との世界規模での競争を招く」

 

国防省は当時、議会に対し軍事予算の維持を正当化すべく、イラン・イラク北朝鮮などの諸国が大量破壊兵器を保有することの危険性が、アメリカにとって最大限の脅威であることを指摘していた。このような脅威認識を背景にした軍事戦略は、9・11同時多発テロ事件の起きる2001年まで一貫して追求された。冷戦後の米国戦略の核心はイラン・イラク北朝鮮を脅威の源泉と見なすことであり、これらの脅威がいかに深刻であるかを国民に示すことで軍事費の削減を回避することが、90年代の国防当局の課題であった。

 

(2)9・11テロ事件とアメリカの反応 

2001年9月11日、ハイジャックされた2機の航空機がニューヨーク世界貿易センタービルに激突、その1時間後には南北両棟とも倒壊した。さらに、もう1機のハイジャックされた航空機がペンタゴン(米国防総省ビル)に激突した。その5分後、ブッシュ大統領はチェイニー副大統領に連絡し、「われわれは戦争状態にある」と告げ、議会の指導者グループに要旨説明を行うように命じている。また、ピッツバーグ近郊にも航空機が墜落しており、一連のテロにより約3000人の命が犠牲となった。

 

ブッシュはテロ発生の翌日に「これはテロを超えた戦争行為である」と述べ、自由と民主主義を守るための戦い、21世紀最初の新しい戦争をアメリカは展開すると宣言した。また、ブッシュは9月20日の上下両院合同会議での演説で、犯行はオサマ・ビン・ラディンを首謀者とする国際テロ組織アルカーイダによるものであると断定し、アルカーイダの本拠があるアフガニスタンタリバン政権に対してビン・ラディンの引き渡しとアルカーイダの解体を要求した。

 

(3)アフガニスタン戦争

タリバン政権がビン・ラディンの引き渡し要求を拒否したため、2001年10月7日、米空軍はアフガニスタン空爆を開始した。これに伴い、有志連合諸国はアフガニスタンを含むテロ組織勢力地域への「不朽の自由作戦」を実行した。アメリカを中心とする有志連合諸国軍は、その圧倒的な軍事力で12月7日にはタリバン政権を実質的に崩壊させ、12月の中旬にはアルカーイダの最後の砦トラボラ地区を制圧し、アルカーイダの掃討にほぼ成功した。

 

世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争②