【尖閣問題】アメリカは助けてくれるのか

国防総省のカービー報道官は3日の記者会見で、沖縄県尖閣諸島を巡る問題について問われ、「尖閣は日本の施政下にある。米国は日本と(対日防衛義務を定めた)日米安全保障条約を結んでおり、非常に重く受け止めている。この義務を私たちは完全に、100%果たす」と語った。

報道官は、「こうした紛争は威圧によってではなく、外交的に、国際法や規則にのっとって解決してもらいたい」とも指摘し、東シナ海で挑発的な行動を続ける中国をけん制した。(『読売新聞』2014年10月4日) 

http://www.yomiuri.co.jp/world/20141004-OYT1T50024.html

 

先日、米国防省の報道官が上のような声明を出した。

この声明のポイントは以下の二点である。

 

尖閣諸島は日本の施政下にある

②米国は日米安保条約第5条【共同防衛】を確実に履行する

 

①に関しては、日米安保条約に示される共同防衛が、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」を対象としているため、尖閣が日本の施政下にあるというアメリカの公式見解は対中抑止という意味でも極めて重要である。これは今年4月にオバマ大統領が来日した際にも触れられている。

 

尖閣が日本の施政下ではないとすれば、尖閣を巡る日中の軍事衝突にアメリカが介入する義務はなくなるわけであるが、尖閣はあくまで日本の施政下にあると認識している、とアメリカが明言することで、中国の尖閣侵攻の敷居は格段に高くなる。

 

②に関しても、尖閣における対中抑止という意味において、アメリカが折に触れて日米安保条約の履行義務に言及すること自体に大きな意義があるといえる。尖閣に侵攻した場合、アメリカが介入してくるかどうかという点は、中国にとって最も重要な政策判断材料となる。

 

国際政治のコンテクストにおける抑止は、「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」に大別される。前者は攻撃する側の目的達成の可能性に関する計算に働きかける形の抑止であり、後者は攻撃する側の戦闘費用の計算に働きかける形の抑止である。すなわち、拒否的抑止が失敗しないように(攻撃されないように)備えることを指す概念であるのに対し、懲罰的抑止は失敗した(攻撃された)後で、報復できるように備えることを指す。

 

そもそも失敗する可能性が高く、実行すれば大量報復を受け致命的な損害を被ることが確実視されるのであれば、基本的にはコスト>ベネフィットという構図になる。であるならば、合理的な指導者は他の目的達成手段を選択するはずである。

 

我が国の安全保障政策における日米安保体制ないし日米同盟、あるいは在日米軍の存在は、「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」の両面を担保していると見ることができる。こと尖閣を巡る対中抑止戦略には、日米同盟関係の深化が欠かせない。なぜなら中国は「勝てない戦争」、具体的にはアメリカが介入してくるような大規模な戦争はしないからである。しない、というより「できない」といった方がより適切な表現といえるのかもしれない。

 

中国にとっての死活的な国益は、共産党一党支配体制の維持であり、この体制が揺るがされることが最大のコストである。中共はあらゆる手段を講じて現体制を維持・強化しようとする。そして非民主主義国家である中国における政府の正当性は、経済成長とナショナリズムに求められる。前者は文字通りの意味であり、後者はここでは「国民の人気」とでもいえようか。

 

そして中国が今アメリカと戦争としたところで、まず勝つことはできない。戦争に負ければ共産党への国民の支持は地に墜ちる。経済も確実に停滞する。つまり、共産党一党支配体制の正当性が失われるのである。だから中国はアメリカとは戦争はしない。アメリカが介入してくるような対外政策に関しても慎重にならざるを得ない。

 

ここから、日本の対中戦略における日米同盟の重要性が見出される。

「日本に侵攻すればアメリカが介入してくる」と中国に思い込ませることが、日本の対中戦略として最も合理的なアプローチである。

 

では、もし尖閣が侵攻された場合、アメリカは本当に助けてくれるのであろうか。

 

こればかりは、「起こってみなければわからない」としか言えない。

助けてくれるかもしれないし、助けてくれないかもしれない。

 

上で触れた日米安保条約第5条【共同防衛】には、たしかに日本の施政下にある領域におけるいずれか一方への攻撃に対し、日米両国が共同で対処するように行動する旨が定められている。しかしその一方で、これには「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」という条件がついていることを忘れてはならない。

 

日本の施政下にある尖閣が侵攻された場合【共同防衛】は発動されども、それが具体的にいかなる形態をとるのかは、アメリカ国内の事情によって左右されるものである。軍事的な手段によるものなのか、はたまた「強く非難する」といった声明が出されて終わるのかは事が起こってみなければ誰にもわからない。

 

各国の力、利益、価値の関係が複雑に絡み合う国際政治において、「いざという時には必ず助けてくれる」と同盟国を完全に信頼しきり、期待しすぎることは賢明ではない。歴史を見れば、国家は自国の国益を第一に優先すること、たとえ同盟国であっても、アメリカはあくまでアメリカの国内事情に従って行動せざるを得ないことは自明である。

 

そして国の独立と主権、領土、国民の生命が直接的に関わる安全保障政策は、常に最悪の事態を想定して講じられるべきものでる。であるならば、日米同盟の維持・強化と同時並行で、自助努力として尖閣における小規模な軍事接触に自国だけでも十分に対処できるよう、法整備を含めた包括的な国家防衛体制の構築が求められる。

 

日本にとって、対中戦争によって得られる利益はもはや何一つない。

だからこそ、「我が国の領土は我が国で守る」という国全体の強い意思とその能力を以てこれを抑止することが、何にもまして重要なのではないだろうか。