世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争②

世界の見方と戦争――ブッシュのイラク戦争①

 

アフガニスタン戦争で勝利したアメリカはその矛先をイラクに向けた。ブッシュ大統領は2003年1月の一般教書演説で、イランと北朝鮮の「無法国家」が大量破壊兵器の開発を進めていると述べるとともに、「さらに大きな脅威」としてイラクを名指しすることで、対テロ戦争の文脈にイラクを位置づけた。しかしその一方で、9・11テロとの関係が希薄であると考えられていたイラクに対する武力行使には多くの国が疑問を呈した。

 

2.イラク戦争

 

(1)ブッシュ・ドクトリン

アメリカ外交の伝統的な教義の一つに「孤立主義」があるが、「戦争を防止するために戦う権利があり、しかもアメリカだけにその権利が与えられるといる」という思想を基盤とするブッシュ・ドクトリンは、ユニラテラリズム(単独行動主義)であるという見方がある。

 

二元論的な思考と宗教的な道徳観を重視するブッシュは、2001年9月20日、テロ後初めて世界に向けて発したメッセージで、「世界は、文明と善とともにあるか、野蛮と悪とともにあるかを選ばなければならない。間違った選択をする諸国は、覚悟を決めなければならない」と宣言した。この言葉にも見てとれるように、アメリカの対外積極路線を正当化するブッシュ・ドクトリンは、アメリカの新しい戦略の本質は軍事力であり、潜在的な敵が攻撃の機会をつかむ前に、必要とあれば一方的に相手を攻撃する、というものであると捉えることができる。すなわちブッシュは、戦争をしないことで平和を構築しようとするのではなく、予防戦争をすることによって平和を目指そうとし、さらに「予防」戦争を「先制」攻撃と言い換えることで国民の不評を緩和させることを企図しており、イラクにおいてこれを実践したのである。

 

ブッシュの強硬的な対外政策の背景には、外交的タカ派である「主張するナショナリスト」や、「ネオコン」の影響があったとされる。2001年以前の外交政策に直接関与したことのなかったブッシュは、その補佐官や閣僚のもつ考え方や情報に依存せざるを得なかった。そして、ブッシュ政権には、ポール・ウォルフォウィッツに代表されるネオコンや、ディック・チェイニードナルド・ラムズフェルドリチャード・アーミテージコンドリーザ・ライスといった外交的タカ派がその中枢にいたのである。

 

(2)「ネオコン」と「主張するナショナリスト

ブッシュ政権内では、大統領を補佐する2つのグループが存在した。1つのグループは「ネオコン」で、ポール・ウォルフォウィッツやルイス・リビー、外交政策チームの一員ではないが、国防政策委員会議長を務めていたリチャード・パール、元CIA長官のジェームズ・ウルジーらがこれにあたる。第2のグループはディック・チェイニー副大統領、ドナルド・ラムズフェルド国防長官ら「主張するナショナリスト」が率いるものである。前者はアメリカ至上主義の理想主義者であり、後者は力によって競争相手国を脅し、アメリカの安全保障や企業経営に対する脅威を叩こうとする政治家であった。両グループは、国際機関を軽蔑し予防戦争を唱導する点、イラクサダム・フセイン政権の打倒を外交政策の最優先課題にすべきだとする点においては意見が一致していた。

 

ブッシュ政権発足から10日目、最初の国家安全保障会議NSC)の議題はイラク問題に集中していた。その7ヵ月後に同時多発テロ事件が発生し、その対応として、当初はアフガニスタンに侵攻しオサマ・ビン・ラディンと彼を庇護するタリバン政権を転覆させる方針がとられ実行された。タリバン政権を崩壊させた後、アメリカの対外政策における優先順位はサダム・フセインイラクに移っていった。

 

2002年8月22日にナッシュヴィルで行われた演説において、チェイニー副大統領は、対イラク政策に関しては慎重に事を進めるべきだというパウエルらの議論に公然と反論し、サダム・フセイン核兵器入手を試みており、生物・化学兵器の増強をも試みていると断言し、サダム・フセイン大量破壊兵器を手にした場合、「彼は中東全体の支配権を握り、世界の石油供給の大部分を押さえようとするかもしれない」と述べた。政権の上層部で、サダム・フセインを権力の座から追い出すために戦争の急先鋒となったのはチェイニーであり、また政権の内部でイラク大量破壊兵器所有について最も強力に論じ立てたのも彼であった。副大統領をはじめ、ブッシュを取り巻く多くの政権スタッフがイラク攻撃への論調を強めてゆくにつれ、ブッシュの対イラク強硬姿勢も強まっていった。

 

(3)ブッシュの意思決定

なぜブッシュ大統領イラク攻撃を決断したのか、という問いに対しては様々な説がある。ブッシュをはじめ政府関係者らがイラクにおける大量破壊兵器の存在を確信していたこと、サダム・フセインとアルカーイダとの関連を強く疑っていたこと、アメリカ国内における石油企業と米国政府の関連(イラク石油の確保)などである。また、イスラエル・ロビーの政府に対する圧力、およびユダヤネオコンの存在が、アメリカがイラク戦争開戦に踏み切った第一の要因であったとする見方もあり、ハーバード大学のスティーブン・ウォルト教授とシカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授はその著書において、イスラエル・ロビーがイラク戦争開戦の決定に大きな影響を与えたことを論じている。

 

いずれにせよ、アメリカのブッシュ大統領イラク攻撃へと突き動かした要因を単一のものに求めることはあまりに短絡的であり、またその原因を証明することも極めて困難だといわざるを得ない。しかし、対イラク政策を大統領の仕事の最優先課題に据えた側近たちの影響、特にアメリカの「自由」と「民主主義」を人類普遍の価値観であると捉え、これを世界に拡大・啓蒙することがアメリカの使命であるとするネオコン思想が、アメリカの対外政策におけるブッシュ大統領の意思決定に大きな影響を与えていた可能性は高い。

 

また、2002年8月20日、ブッシュ大統領はジャーナリストのボブ・ウッドワードによるインタビューにおいて以下のように語っている。

 

・攻撃は行なうかもしれないし行わないかもしれない。まだ見当がつかない。いずれにせよ、世界をより平和なものにするという目標のためのものになる。

 

・いまアメリカは独自の立場にある。われわれはリーダーだ。そして、リーダーは、他者の意見をきく能力に加え、行動力を兼ねそなえていなければならない。

 

・武力および武力の行使について、われわれはすべての方面の合意を求めるつもりはない。だが、有益な結果をもたらすような行動―自信に裏打ちされた行動は、その勢いによって二の足を踏んでいた国家や指導者を従わせ、平和にと向かう前向きな動きが生まれたのを示すことができる。

 

これらのブッシュの発言から、イラク戦争ネオコンや外交的タカ派の政権スタッフの考え方や政策提言に強い影響を受けたブッシュ大統領が抱いた、「先制攻撃と単独行動主義によって平和を実現し、世界を作り直す」というアメリカ例外主義的かつ極めて理想主義的な理念によって始められた戦争であったと捉えることもできよう。

 

イラク戦争開戦の理由については多様な説が展開されてきたが、ブッシュ大統領を取り巻くネオコンをはじめとする政府関係者の存在が、ブッシュ大統領の意思決定に与えた影響は決して軽視できるものではないように思われる。

 

イラク戦争による米軍兵の死者数は4481人を数えている。また、アメリカがイラクに費やした額に関しては2008年時点ですでに合計3兆ドルに達していたと、2008年2月23日付のタイムズ紙で報じられており、コロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授によれば2001年にノーベル経済学賞を受賞したコロンビア大学のジョセフ・E・スティグリッツ教授によれば、イラク戦争の総コストは「現実よりの保守的シナリオ」で4兆3,000億ドル、「最良シナリオ」では、1兆8,000億ドルに達すると主張している。

 

2011年12月14日、米軍はイラクから完全撤退し、オバマ大統領はイラク戦争の終結を宣言したが、アメリカが8年に及ぶイラク戦争によって得たものは、アメリカが戦争で被った損害に比べ遥かに少なかったように思われる。

 

本稿では、G・W・ブッシュ政権時の2003年にアメリカがイラクに侵攻し、イラク戦争を開始した要因について、ネオコンおよび外交的タカ派がブッシュの意思決定に与えた影響に着目しながら概観してきたが、なぜアメリカが合理的とはいえないイラク攻撃に踏み切ったのかに関して、単一の要因に帰結させることは難しいように思われる。しかし、ブッシュを取り巻いていた外交政策スタッフの「ネオコン」および「主張するナショナリスト」の語る言葉やアイディア、すなわち「世界の見方」が、対外政策の経験がなかったブッシュの意思決定に与えた影響の大きさに着目することは、複雑な国際政治を眺めるという観点からも一つの有用なアプローチであるといえよう。

 

 

○引用・参考文献

ボブ・ウッドワード『攻撃計画――ブッシュのイラク戦争』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、2004年。

ボブ・ウッドワード『ブッシュの戦争』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、2003年。

大野元裕「損なわれた信頼と威信を回復するためのアメリカ中東外交の課題と期待」森本敏久保文明大野元裕他『オバマで変わるアメリカ 日本はどこへ行くのか』アスペクト、2009年、145-191頁。

佐々木卓也「理念外交の軍事化とその帰結」佐々木卓也編『戦後アメリカ外交史』有斐閣アルマ、2009年。

佐藤唯行『アメリカはなぜイスラエルを偏愛するのか』ダイヤモンド社、2006年。

ジェームズ・マン『ウルカヌスの群像』渡辺昭夫監訳、共同通信社、2004年。

ジョン・J・ミアシャイマー、スティーヴン・M・ウォルト『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策副島隆彦訳、2007年。

 

Michael Hirsh, "Bush and the World," Foreign Affairs, (SEPTEMBER/OCTOBER 2002), pp.18-43.

Arthur M. Schlesinger, Jr., War and the American Presidency, W. W. Norton, 2005.

 

iCasualties: Operation Iraqi Freedom and Operation Enduring Freedom Casualties