「一般個人・団体・法人向けセミナー/勉強会」再始動のお知らせ

約1年半ぶりとなりますが、一般個人・団体・法人向けセミナー/勉強会を再始動します。

 

大まかなテーマは以下の4つからお選びください。

「国際情勢」

「日本の外交・安全保障」

「戦略論」

「統率・リーダーシップ研究」

 

また、内容の詳細につきましては都度ご相談となりますが、極力ご要望に沿ったものとなるよう、受講目的や受講者の皆様のテーマに関する知識レベル、その他些細なことでも予めお伝え頂きたく存じます。

 

お問い合わせはメールにて、以下のアドレスまでお願い致します。

E-mail: akthos88@gmail.com

 

テロ②

テロ

 

○誰がテロを起こすのか

テロの行為主体としては、第一に個人、革命組織や宗教集団、民族団体などの非国家主体が挙げられる。「テロ」と聞いて多くの人が想起するイメージは、これらの非国家主体が国家(政府)に対して行使する反政府テロ・反体制テロではないかと思うが(※)、これらのテロは革命闘争、民族運動、宗教対立などの紛争とも密接に関わるものである。

 

(※)政治的企図の下に無差別テロの形態がとられれば、実際に物理的な被害を受けるのは一般市民である。

 

無論、非国家主体が別の非国家主体を対象にテロ行為を仕掛ける場合もあるが、そのようなテロの背景には価値観やイデオロギー、宗派などの対立がはっきりと見てとれることが多い。

 

一方、国家が非国家主体、あるいは国家主体に対して行使するタイプのテロは、国家テロと呼ばれる。

 

国家が非国家主体に対して行使する国家テロは、たとえばシリアのアサド政権が、反体制派に対し2013年8月に行ったとされる化学兵器による大量殺戮に見られるような、独裁政権による恐怖政治の手段として用いられることが多い。

 

また、国家が別の国家を対象とするテロのうち、戦時に行使されるものを戦術テロ、平時もしくは停戦・休戦時に行使されるものを戦略テロと区別することもある。戦術テロは主に戦闘において敵を攪乱するために用いられ、戦略テロは戦争の代替、もしくは強制外交の一手段として用いられる。

 

国家テロ、特に戦略テロは国家戦略の一種であると見なすことができるが、だからこそ、それが国際社会に明るみになってしまえば、政府に対する国際社会からの反発や信用の失墜は避けられない。つまり戦略テロに伴う政治的リスクは極めて深刻であると言える。

 

そのような政治的リスクを回避するために、テロの実行者と黒幕である政府との関係はどこまでも厳重に秘匿されなければならない。ゆえに戦略テロは、たとえば対立国の反政府組織に資金援助や武器供与を行ってテロを支援する国家支援テロや、テロリストやテロ組織を雇ってビジネスライクに利用する国家指揮テロなどの形態がとられることとなる。

 

(つづく)

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テロ

諸事情によりだいぶご無沙汰の更新になってしまい申し訳ないのですが、今回は国際社会でもホットな話題のテロについて。

 

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まず、テロリズム(Terrorism)の語源は、フランス革命期の国民公会ジャコバン・クラブ最左派であった山岳派が展開した恐怖政治(レジーム・ド・ラ・テロール)に由来する。

 

フランス革命(1789-99年)は絶対王政下における社会・身分制度に見られた矛盾に根ざして起こった革命であり、山岳派は世界史の教科書でもおなじみのマラー・ダントン・ロベスピエールといった急進的革命家を要した派閥である。

 

なお、政治的立場・思想を指し示す左派・左翼(=急進派・改革派)の語源もフランス革命にあると言われ、これは国民議会(のち憲法制定国民議会)で議長席から見て左側の席を急進派が占めていたからであるとされる。

 

○「非伝統的脅威」とは

テロはいわゆる「非伝統的脅威」に分類される。戦争をはじめとする武力紛争、日本が直面する北朝鮮の核開発・ミサイル発射実験、あるいは尖閣諸島の領有権問題などは伝統的安全保障の領域に属する問題であり、たとえば中国の軍拡や威嚇を含む軍事行動は「伝統的脅威」である。

 

一方、自然発生もしくは人為的に生み出された状況によって不特定多数の人々の安全が脅かされるもの、たとえば気候変動や自然災害、感染症、貧困、食糧不足、不法移民および難民の大量発生などの問題は非伝統的安全保障の領域に分類される。

 

そのような非伝統的安全保障の領域において、主として非国家主体によって作為的につくられる危険や脅威を「非伝統的脅威」という。例を挙げると、テロや海賊行為、越境犯罪組織による麻薬や兵器の密輸・密売、マネーロンダリング、クレジットカード偽造、人身売買とそれに伴う不法強制労働・組織的売春などである。

 

これらの非伝統的脅威は「新しい」という意味で「非伝統的」と言われているわけではない。テロも海賊も麻薬の問題も、ウェストファリア条約(1648年)によって近代主権国家体制が成立する以前から歴史的に存在していた。テロや海賊それ自体は古来問題とされてきたが、その性質が不変ではない、中身が一新しているという意味で「非伝統的」なのである。

 

○テロの定義

テロの定義は、安全保障と同様に、万人に受け入れられた普遍的なものがあるわけではなく、国や地域、あるいは研究者ごとにかなり多様である。これはテロを定義することが不可能であるというわけではなく、定義をする者の価値観や世界観によってテロをどう認識するかに差異が出るからであると言える。

 

見る者によっては、あるテロ行為が「自由・解放のための聖戦」と映ることもあれば、それが別の者にとってはただの犯罪行為に見えることもある。

 

現に、日本にはテロを明確に定義する法律はないものの、米英などの諸外国には法律上定義が存在し、実際に運用されている。ここでは「非国家主体が、公共の安全を脅かす不法な行為を行い、かつ国家または社会の一部が不安・動揺・恐れる現象」(宮坂直史・防衛大教授)をテロの定義の一例として挙げておきたい。

 

この定義からもわかるように、暗殺・人質・爆弾使用などの行為自体はテロではない。あくまでそれらの手段によって、国家・社会を震撼させる「現象」をテロと呼ぶのである。

 

このような前提に立てば、テロリストとメディアは一種の共生関係にあると言え、日本においては1963年の「吉展ちゃん事件」で報道協定が結ばれたことを契機に、そのような認識が一般に広まった。場合によっては、マスコミによる報道が事件を長引かせ、事態を更に悪化させる可能性も十分にあり得る。

 

また、新聞・テレビを凌ぐ勢いでYouTubeなどの動画共有サービスやSNSが広く普及した現代においては、一個人が情報に触れる絶対量が圧倒的に増えており、かつほとんどリアルタイムで情報が拡散するため、テロリストにとっては以前にも増してテロを起こしやすい環境が整っている。その結果、一般市民にとってもテロがより現実味を帯びてきているように思われる。

 

何を以てテロ行為と見なすかについては、1960年代から現代まで作成されてきた13本の国際テロ防止関連条約・議定書および3本の改正議定書に求められるが、具体的には人質、ハイジャック、爆弾テロ、核テロなどがある。

 

なお、日本では船の乗っ取りを「シージャック」、バスの乗っ取りを「バスジャック」などと表記されることがあるが、乗り物の乗っ取りはすべて「ハイジャック(hijack)」であり、正しくは「シー・ハイジャック(Sea-hijack)」、「バス・ハイジャック(Bus-hijack)」である。

 

(つづく)

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日中「海上連絡メカニズム」暗礁に

headlines.yahoo.co.jp

 

以前の記事とも重なるが、「対話による平和」の追及は、あくまで双方の意思がなければ上手くは行かない。

 

「海上連絡メカニズム」は2008年に日本政府のイニシアティブで協議が開始されたものであるが、実質的な進展がほとんど見られなかったのは、中国政府側が一方的に協議を中断したからであった。

 

その後、12年までの4年間で3度にわたる「日中防衛当局間の海上連絡メカニズムに関する共同作業グループ協議」が実施されたものの、「同メカニズムが、不測の衝突を回避し、両国防衛当局間の相互信頼と実務協力を増進させるとともに、両国の戦略的互恵関係の包括的な発展を推進することに資する、との認識で一致(※)」するにとどまっている。

 

そして昨年11月の日中首脳会談での合意を機に、今年1月に協議が再開されたものの、今回日本側が提示した「連絡メカニズムの対象範囲に領海・領空を加えない」という合意文書案に中国が応じておらず、再び協議が暗礁に乗り上げようとしていると報じられている。

 

中国側の妥協を引き出すには、習近平やその顧問、共産党政治局常任委員会のメンバーなどが何を見返りに求めているのかを冷静に見極め、それ相応の「アメ」を与える必要がある。しかし、彼らのコスト‐ベネフィット計算や意思決定過程は知りようがない以上、そこは日本の戦略的な駆け引きと外交力が試されるところである。

 

蓋し、日中双方にとって「平和のための対話」であるにも拘らず、国際政治においてはそれが一筋縄にはいかないという現実を知る上ではいいニュースではないだろうか。もちろん日本の安全保障にとっては全然いいニュースではないけれど。

 

(※)日中防衛当局間の海上連絡メカニズムに関する第3回共同作業グループ協議(結果概要)

人民解放軍30万人削減発表の意図

China Announces Cuts of 300,000 Troops at Military Parade Showing Its Might

 

9月3日、中国は天安門広場にて「日本の戦争の罪を強調し、戦争における中国共産党の役割を美化するために考案された」抗日戦争・反ファシズム戦争勝利70年記念式典を執り行った。

 

式典は70発の礼砲で始まり、国旗掲揚に続いて行われた国家主席演説の中で、習近平は中国が「祖国の安全と人民の平和な生活を守るという神聖な義務に忠義を尽くし、そして世界の平和を守るという神聖な義務に忠義を尽くす」中国人民解放軍の人員30万を削減する予定であることを発表した。

 

習近平のこの演説に関して、中国側の狙いは、軍拡および現状変更的な動向、とりわけ南シナ海で顕著な強制外交に対する各国からの批判をかわすことにあると日本の多くのメディアでは報じられている。しかし何のことはない、これはただの軍隊の近代化の一過程、ある意味では「軍備増強」の再確認であると見ることができる。

 

人民解放軍の兵力や装備、組織構成は公式に情報公開されているわけではないが、総兵力は約230万、うち陸上兵力が160万を占めると推定されている。少子高齢化が急激に進む中国では軍内部でも「尻すぼみ」問題が深刻化しており、予てから兵員削減が実施されてきた。そして同時に軍隊の近代化、すなわち陸上戦力重視から海・空戦力重視へのシフトが急ピッチで進められている。中国は陸上兵力の削減による余剰資金を海・空戦力に投資し、その増強を図っているのである。

 

要するに30万人削減発表は、これまで進められてきた「ランドパワー(Land Power)からエアシーパワー(Air-Sea Power)へのシフト」という中国の安全保障戦略が、習近平によって改めてアナウンスされたにすぎない。

 

これはある程度の知識とセキュリティ・センスがある人にとっては当たり前のことではあるが、多くの日本人にとってはそうではない。だからこそ、自衛隊の能力強化や集団的自衛権行使容認、あるいは日米同盟の深化による対中「抑止」ではなく、中国との軋轢は「対話」で解決すべきであるという意見が多く出てくるのであろう。

 

しかし、「対話による平和」を強調する人に限って、それがこちら側の意思だけではどうにもならないことを理解しようとしない。「片想いは通じない」のが冷酷な国際政治の現実である。その一方で、冷徹かつ合理的なバランス・オブ・パワーの追及こそが、東アジアの国際関係に安定をもたらす。少なくとも、現状変更国家である中国に「対話」を求めるよりは、よっぽど日中間の武力紛争を抑止する効果を発揮するのではないだろうか。

 

もう一つ、「121歩」(国旗掲揚時の護衛隊の行進歩数121歩が日清戦争勃発から121年間を示している)に関しては過度に反応すべきではない。あんなものは中国国民の反日感情を煽るための単なるパフォーマンスであり、いちいち挑発に乗っていてはキリがない。

 

要は相手と同じ土俵には決して乗ることなく、戦争をしない、させない平和国家であり続けるために、どこまでも冷静に、今やるべきことを淡々とこなすことである。

文藝春秋SPECIAL 2015年 秋号

文藝春秋SPECIAL 2015年 秋号』に寄稿しました。

 

「戦略なき作戦 ミッドウェー真の敗因」(204-211頁)です。

 

今回は日米戦争の「戦局の転換」と言われるミッドウェー海戦を、戦術や戦闘のミクロ・プロセスに焦点を当てるのではなく、よりマクロな戦略の視点から捉え直し、そこから得られる歴史の教訓について考えてみました。

 

安保法案に関する報道を見てもわかるように、安全保障に関する議論というのはどうしても感情論や近視眼的な思考に陥りやすいものですが、日本が過去の過ちを二度と繰り返すことなく平和国家であり続けるためには、どこまでも「歴史に学ぶ」姿勢が必要なのではないかと思う今日この頃です。

 

文藝春秋SPECIAL 2015年 10 月号 [雑誌]

文藝春秋SPECIAL 2015年 10 月号 [雑誌]

 

 

ディスってないっす

安保法案についてどう思うかとよく聞かれるのですが、それについてはどこかでパブリックに書く機会があれば書きたいと思います。ここで書くとめちゃめちゃ長くなりそうだからめんどくs

 

とりあえず一連の報道で思うところは、賛否どちらの立場にせよ、ほとんどの日本人が安保法案の中身と効用を理解していないのではないかということです。

 

というか、そもそも「安全保障関連法案」なので、特にその効用については安全保障と国際情勢に関する基本的な知識、思考の基盤がないと理解のしようがありません。

 

現行の教育制度上、戦後世代は「セキュリティ・リテラシー」に欠ける方がむしろ一般的かと思われますが、それでも「戦争法案」だとか「戦争する国へ」なんて聞くと、義務教育に安全保障を組み込んだ方がいいのではないかと本気で思ってしまいます。

 

また、メディアや公聴会では盛んに憲法学者が自説を展開し、安保法案に対して否定的な見解を示していますが、その一方でメディアではあまり取り上げられない安全保障の専門家(国際政治学者)の大半が、この法案を肯定的に捉えているはずです。なので結局、視点・立ち位置をどこに置くかということなんだと思います。

 

いずれにせよ、個人的に最も気になるところは、「これは戦争法案だ」という主張と「これに反対する奴は売国奴だ」という主張は、どちらも「自分は感情的で非論理的で不寛容だ」と公言しているようなものではないかという点です。

 

「兵は国の大事なり」ではないですが、国の存亡に直結する安全保障問題に関しては、もう少し冷静に、自分の主張を客観的に見つめて、よく考えてから声を上げても遅くはないんじゃないでしょうか。