文藝春秋SPECIAL 2015年 春号

文藝春秋SPECIAL 2015年 春号』に寄稿しました。

 

真珠湾攻撃  戦略比較――山本五十六石原莞爾に勝てなかった」(97-104頁)


よろしくお願いします。

 

文藝春秋SPECIAL 2015年 春号

文藝春秋SPECIAL 2015年 春号

 

 

日本は「対テロ戦争」に向かう?

国際社会におけるイスラム過激派組織「イスラム国」掃討の気運が高まっている。

イスラム国」対策を担当するアレン(John Allen)米大統領特使は、イスラム国に制圧された領土奪還に向け、数週間以内に「イラク軍主体の地上軍が大規模な反撃に出る」ことを明らかにした。

 

また、先日開かれた米上院軍事委員会における指名承認公聴会では、カーター(Ashton Carter)次期国防長官が「イスラム国」を「永続的な敗北に追いやる」決意を表明し、有志連合の結束と、イラク軍やシリアの穏健派の反政府勢力を早急に育成訓練することの重要性を強調している。

一方、日本では「イスラム国」によって二人の日本人が殺害された事件を受け、各メディアで日本が「対テロ戦争」に踏み切るのではないか、という扇動的な報道が散見された。

 

彼らが、あくまでビジネスという視点から国民の不安を煽っているのか、はたまた本気で「日本が戦争をするのではないか」と不安を覚えているのか定かではないが、対国際テロリズムを強く意識した安全保障の強化が、なぜ「対テロ戦争」に直結するのだろうか。

 

そもそも安全保障とは、国民の生命や財産、延いては国の主権や領土といったかけがえのない価値、換言すれば死活的な国益を外敵の脅威から守ることである。或いはそれ自体が国益の追求ともいえよう。

 

では今の日本にとって、戦争をすることに国益を見出せるだろうか。

 

おそらく大半の日本人にとって、日本が戦争をすることで得られる利益、戦争によって追求すべき国益は何一つないはずだ。たとえそれが日本人を惨殺した「イスラム国」を相手とする「対テロ戦争」であったとしても、戦争をすることは日本の国益には決してならない。戦争は日本の国益の対極にある。

 

日本は戦後70年もの間、戦争を放棄し、平和国家としての道を歩んできた。たしかに、これまで日本の「一国平和主義」は、国際社会からの批判を浴びることも少なくなかったが、今後「積極的平和主義」を追求していくにしろ、戦争の放棄を放棄することに意義を見出すことはできないであろう。理想としての平和主義を掲げつつ、「現実の平和」を見据えていかなければならない。

 

そして「現実の平和」を追求していく上では、安全保障の手段の最たるものが軍事力であるという厳然たる事実を受け入れ、イデオロギーや感情論ではなく、論理的・合理的な思考を以て安全保障を確保していくことが求められる。

 

安全保障法制の整備や防衛費の増額、自衛隊の増強を含めたあらゆる軍備の政治目的は、「他国に対して軍事力の使用を危険だと思わせ、それを抑止すること」(モーゲンソー)、すなわち戦争をしない、挑ませないことにある。

 

一部メディアが「戦争のできる国」になるための政策と報道する防衛費増額、日米同盟の深化、集団的自衛権の限定的行使容認、防衛装備移転三原則等は、安全保障をより確固たるものとし、日本が「戦争をしない国」であり続けるための現実的な努力といえるものである。

 

たしかに戦後の日本は反軍国主義の社会規範がきわめて安定的であり、「軍事=戦争」というイメージが定式化している日本人にとって、軍事力の役割を直感的に理解することは難しいのかもしれない。

 

なぜ安全保障を確保するための手段として軍事が必要になるのか、それを理解するためには現実主義に立脚した「世界の仕組み」の理解と、歴史はもちろん、心理学や社会学などの視点も含め多角的に戦争の原因を考察することが必要になる。

 

無論、現代においては「イスラム国」など非国家主体が対象となるケースが増加していることを顧慮する必要はあるが、いずれにしろ戦争を抑止し平和国家であり続けるためには、戦争の原因を知り、戦争をしない、挑ませない努力をしなければならないことに変わりはない。

 

国の独立と主権、領土、国民の生命や財産といった死活的国益が直接的に危険に晒される戦争をいかに抑止し、いかに日本が平和国家であり続けるかという問題は、政治家だけでなく国民ひとりひとりが真摯に向き合っていくべきものである。

 

今回の人質殺害事件に対するマスコミの報道、あるいは逆に不健全な「右傾化」が蔓延る世論をみて、「右でも左でも中道でもなく、積み上げられてきた理論と歴史に基づいた世界の見方」を普及し、その上で自分の頭で考え、自分の言葉で表現し、行動していくきっかけを提供することを目的とする僕たちの活動は、もう少し続けていく必要があるように感じられた。

オバマの「偉業」?――キューバとの国交正常化交渉

Charting a New Course on Cuba | The White House

 

U.S. to Restore Full Relations With Cuba, Erasing a Last Trace of Cold War Hostility

 

Rubio Sticks to His Tough Line on Cuba

 

各メディアで盛んに取り上げられている通り、オバマ大統領はアメリカが1961年から断交状態にあるキューバとの国交回復に向けた交渉を開始し、数か月以内に在ハバナ米大使館の再開をめざすことを発表した。

 

「過去の手枷を解き放ち」、これまでの「何十年もの間アメリカの利益にならなかった時代遅れの手法」、すなわち制裁路線を一転し、禁輸や渡航制限の一部解除、金融取引の規制緩和などが進められる見通しである。

 

アメリカは約一年半、キューバとの国交正常化をめざしローマ教皇フランシスコなどを介して秘密裡に調整を進めていたといわれており、来年1月末からジェイコブソン(Roberta Jacobson)国務次官補を中心とする代表団がキューバに派遣され、国交正常化交渉が開始される予定となっている。

 

しかし米国内ではキューバテロ支援国家のリストから外すこと対し、共和党議員を中心に非難の声が上がっており、またキューバ系のマルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員はキューバ人諜報員3名を釈放したことを批判し、「大統領が提案したこの取引は、酷いトレードオフだ」、「あらゆる権限を行使して代表団の派遣を阻止する」と語っている。

 

今回のキューバとの国交回復交渉開始に関しては、中間選挙で敗北を喫したオバマが残り2年となった任期を見据え、外交における目に見える成果を挙げることを企図したものだという報道が散見される。

 

たしかに「イスラム国」掃討やウクライナ問題をはじめオバマ政権外交政策課題は山積みであるように思われるが、アメリカの対外政策は政策決定過程に直接携わる人々に加え間接的に影響力を及ぼす各界の人物も数知れず、利害関係と権力闘争が複雑に絡み合ってまとめ上げられるものである。それゆえ、キューバとの国交回復は任期が終了するまでにオバマが「偉業」を成し遂げるための手段であるという見方は、極めて一面的であるように思われる。

 

とはいうものの、真相はホワイトハウス職員、それもウエストウィングでオーバルオフィス(大統領執務室)に出入りできる者しか知り得ない以上、しばらくは「オバマ偉業説」が最も有力な政策決定要因であるとされるであろう。

You, 出馬しちゃいなよ


自公が圧勝325議席…民主伸び悩み、維新苦戦 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

というわけで、自民党の圧勝で幕を閉じた第47回衆院選

 

「たしかな野党」こと共産党が大幅に議席を伸ばしているのは、効果の実感できないアベノミクスに対する失望感からなのか、はたまた集団的自衛権の行使容認や防衛装備移転三原則等にみられる、右傾化への危機感からなのか。

 

それにしても投票率が52%って。

たしかに今回の解散総選挙は多くの国民にとってあまり意義を見出せるものではなかったし、いまいち盛り上がりに欠けていたことは否めない。それでもさすがに52%は低すぎる。ちなみに前回の衆院選では20代の投票率が37%であったが、今回はさらにそれを下回る勢いであるという。もう櫻井くんが出馬すればいいのに。

 

内政、それも経済政策が焦点となった選挙でこれだけの投票率ということは、外交・安全保障なんてほとんどの国民にとってはどうでもいいことなのだろう。国民の大多数が安全保障政策なんかには興味すらもたない社会の方が健全であるという見方もあるが、僕はそうは思わない。

 

国の平和と安全が保障されてはじめて自由と民主主義がもたらす恩恵を享受することができ、そしてその先にこそ国家の繁栄がある。ゆえに安全保障政策は、経済政策、社会保障、その他あらゆる政策に先立つものであるといえる。

 

そして安全保障に関していえば、軍事力ないし軍事的な価値を過度に重視する戦前・戦中のような軍国主義も、軍事的な価値を不当に過小評価する戦後の空想的一国平和主義も、ともに有害無益であることに変わりはない。

 

日本が平和主義を基調とする民主主義国家としてシビリアン・コントロールを貫き通していく限り、その行く末を握るのは我々国民に他ならない。過去の悲劇を二度と繰り返さないために、そしてより良い未来を実現していくためにも、自ら学び、考え、投票を通じて政治に参加することには、おそらく一般に言われる以上に重要な意味があるのではないだろうか。

米海軍新レーザー兵器LaWS


With photos and video, Navy shows how its new laser gun works at sea - The Washington Post

 

米海軍オースティン級ドック型輸送揚陸艦ポンセ(USS Ponce, LPD-15)にこの秋から配備されている新レーザー兵器LaWSの映像が公開されている。

 

可視光線がピンポイントで標的を照射し、的は一瞬にして燃焼。

ものすごい精度である。

 

威力はミサイルに比べれば数段落ちるが、特筆すべきは一発あたりのコスト。

ミサイル一発の発射費用が数十万ドルであるのに対し、LaWSの発射費用は一発1ドル以下(約59セント)であるという。まさに破格のお値段。

 

そもそもレーザー兵器は「非対称な脅威」といわれる無人偵察機や高速ボートなどを標的とするため、ミサイル程の威力が求められるわけではない。最新鋭のステルス技術に対して自爆攻撃が用いられるような非対称戦では、圧倒的な火力で敵を殲滅するという伝統的な戦術よりも、むしろ安価な兵器で確実に敵の損害を積み上げていく方が合理的である。

 

国防予算の削減が進められる昨今のアメリカでは、いかにコストを抑えながらグローバルな非対称戦に対処していけるかが大きな課題であるとされる。世界屈指の技術力に裏打ちされたいわゆるRMAの増進が、アメリカの世界戦略、延いては国際安全保障の行く末を左右するであろう(※)

 

(※) RMA(Revolution in Military Affairs: 軍事における革命)とは、広義には軍事における諸要素の革命的な変化のこと。

CIAの「強化尋問技術」――米上院情報特別委員会調査報告書

Senate Panel Faults C.I.A. Over Brutality and Deceit in Interrogations

 

Senate report on CIA program details brutality, dishonesty - The Washington Post

 

米中央情報局(CIA)がブッシュ政権期に行っていた非人道的な尋問、「強化尋問技術(Enhanced Interrogation Techniques: EIT)」の実態に関する、6000頁以上に及ぶ上院情報特別委員会調査報告書の要旨が公表され、様々なメディアで大きく取り上げられている。

 

要するにCIAがテロリストから情報を引き出すために、蹴ったり殴ったり裸にガムテープをぐるぐる巻きにして引きずり回したり、一週間以上も寝させなかったり、水責めしたり氷風呂に入れたり直腸に色々流し込んだり、家族に危害を加えると脅したりしていたということが公になったという話である。

 

EITの対象になったのは拘束者119人のうち39人で、そのうち7人からは何の情報も引き出せなかった一方で、EITの非対象者からも正確な情報が上がってきていたことや、EITを受けた後に偽の情報を述べていた者が複数いたことなどから、報告書は非人道的なEITに効果はないと結論づけている。

 

オバマ大統領は一期目の就任直後、EITを含む非人道的な尋問を禁止しているが、今回の報告書に関する声明の中で、CIAによる事実上の拷問は「国際社会におけるアメリカの地位を著しく傷つけた」とし、アメリカが「こうした手法を用いることは二度とない」と述べている。

 

アブグレイブもそうだが、何もアメリカに限った話ではなく、こういった残虐な行為は世界の至るところで実は日常茶飯事なのかもしれない。映画の中だけでなく現実に起こっているのだろう。この世界は本質的に「ホッブズ的世界」であり、「カント的世界」はその中のほんの一部の領域を占めるにすぎないのだ。

 

諜報機関や軍隊、あるいはそっちの世界に生きる人たちは昔からこういう手法を使っていたのだろうけど、この手の話を聞く度に「ああ、人間って怖いな」と率直に思う。

 

僕は幸運なことに、小さな頃からいじめや暴力とは無縁の世界で育ってきて、初めてそれに近いものを目の当たりにしたのは防大に着校した日である。今でも鮮明に覚えているが、その時は本当に衝撃的だった。世の中にはこんな世界があるんだなと本気で恐怖した。

 

当時の上級生は非常に威圧的で暴力的であったが、それも所詮「作られた世界」の話であって、どうやらこの世界には、目的のためには手段を選ばないような「本物の人間」、換言すれば「汚い大人」がたくさんいるらしい、ということに気付いたのは割と最近である。そしてたちが悪いのは、そういう人間に限って表面上は倫理や道徳を振りかざし、その醜態を隠そうとしていたりすることである。

 

「カント的世界」でふわふわと生きてきた自分が「ホッブズ的世界」で生き抜くためには、自分なりの確固たる戦略をもたなければならない。そんなこんなで、戦略をライフワークに組み入れようという考えに至ったわけである。まあウソですけど。

 

どうでもいいけど、 A hard pill to swallow(「飲み込み難い錠剤」)と題された英エコノミスト誌の記事の中で、「強化尋問技術」は拷問をオーウェル風に表現した語であると書かれている。イギリス人のインテリはやたらオーウェルに還元したがるというのは本当のようだ。

次期国防長官のカーターは物理学者だけれど


Ashton Carter, passed over before, gets picked by Obama to be defense secretary - The Washington Post

 

先週末、次期国防長官に指名されることが発表されたアシュトン・カーター(Ashton B. Carter)は、パネッタ前国防長官、ヘーゲル現国防長官の下で昨年12月まで背広組のナンバー2のポストである国防副長官を歴任し、またゲーツ元国防長官の下では兵器購買責任者も務めていた安全保障分野の第一人者である。

 

カーターは軍人ではなく物理学者であり、イェール大学で学士号、そしてローズ奨学生としてオクスフォード大学で理論物理学の博士号(Ph.D)を取得している。カーターはヘーゲルのように軍歴があったり著名な上院議員であるわけでもなく、高級技官(technocrat)として安全保障の分野でキャリアを築いてきた。しかし「ローズ奨学生(カーター)には、ペンタゴンがいかに動き、彼の主張を通すためにはいかに無遠慮な言葉を用いればいいのか内部者としての理解がある」と報じられている。

 

ちなみにローズ奨学金はオクスフォード大学の大学院生に与えられるもので、アメリカにおいてローズ奨学生は超エリートの証であり、これを得た者はパワーエリートの道が約束されたも同然であるといわれている。有名どころでいえば、クリントン元大統領や国際政治学者のジョセフ・ナイ、政治哲学者のマイケル・サンデルなどがローズ奨学生である。

 

国防省のエリート高級技官として技術畑を歩み、かつ兵器購買責任者を務めていたこともあるカーターは、ハイテク新兵器の導入やUAV(Unmanned Aerial Vehicle: 無人航空機)を用いたいわゆる"Drone Wars"に積極的であり、これがオバマの基本方針と合致していたことが、今回の指名に繋がったという見方もある。 

 

ただし、スーザン・ライス(Susan E. Rice)国家安全保障問題担当大統領補佐官はペンタゴンに対してかなり細部にまで口を挟んでいるらしく、これがヘーゲルホワイトハウスの軋轢の根底にあったと度々報じられていることから、その辺を上手くかわす調整力が求められよう。

 

アメリカの次期国防長官がバリバリの理系ということであるが、安全保障に限らず政治学や経済学といった社会科学を本格的に専攻し、その道に進むことを望むのであれば、学部4年間は数学や物理を専攻して大学院以降に文転するのがベターではないかと思う。今更だけど。

 

アカデミックの世界をめざすにしろ、実務者として政策に携わっていくことをめざすにしろ、文系の領域こそ、実は数学や物理学を基盤とする「理系的なモノの見方」が必要なのではないだろうか。とくに実務に携わるのであれば尚更そうであるように思われる。

 

文系の人間からすると、理系は理論や数式に拘泥するようなイメージがあるが、実は文系人間の方がよっぽど「理論」や「公式」に囚われやすかったりする。現実が理論通りにならないとオロオロしてしまうのは、理系よりもむしろ文系である。

 

現実世界の不確実性を前提にしつつ、論理的に、時に複雑な数式を駆使しながら思考できるというのは、どの世界で生きていくにしろ大きな強みである。

 

というわけで、僕たちが第一に求める人材は「鬼のように数学ができます!」「確率・統計が縦横無尽に使いこなせます!」って人だったりするのだけれど、「周囲の誰よりもアラビア語ができます」でも「コンピュータオタクです」でも、「福山雅治よりイケメンです」でも「佐々木希より美人です」でも、何でもいいからとにかく自分なりの強味がある人と一緒にやっていきたいと考えているのであります。