Whitewashing History in Japan――日本における歴史の糊塗(品性は大事だと思うのです)

Whitewashing History in Japan

 

ニューヨーク・タイムズの社説で日本の右派勢力が非難されている。

 

記事によれば「安倍政権にけしかけられた日本の右派勢力が、戦時慰安所で旧日本軍が数千人の女性に奉仕させることを強要した第二次大戦における不名誉な出来事を否定する脅迫キャンペーン(campaign of intimidation)を実施している」という。

 

また、「安倍政権は戦時の歴史を糊塗する勢力に迎合する形で火遊びをして」おり、安倍首相が今年3月に河野談話を踏襲する意を表明した際に政府が認めた「韓国やその他の国の女性数万人が性的な苦役を強制された」という事実にこそ、「修正主義者の陰謀に拘らず歴史的な真実がある」と書かれている。

 

歴史修正主義者はいつの時代も一定数存在するし、それを批判したり説得しようとしたところで、彼らは余計に血気に逸るだけである。

 

以前の記事でも書いたが、僕は人はバラバラな生き物で、人によって見ている世界は全然違うと思っている。だから他人が世界をどう見ようとその人の勝手だし、他人にとっての「事実」に関してとやかく言うつもりは毛頭ない。

 

毛頭ないのだけれど、世界中のエスタブリッシュメントが目を通すニューヨーク・タイムズの社説に「脅迫キャンペーン」などと書かれるようなやり方は正直やめてほしい。日本人の品性が疑われるようである。

 

ナショナリスティックに、声高になるのは構わない。しかしその主張の根拠は、積み上げられてきた理論と歴史に基づくものでなければどうしても説得力に欠けるし、他人(それも外国人)を説得したいならやはりそうあるべきだと思う。

 

知識と思考力、すなわち知性を最大限に動員し、感情論に走るのではなくどこまで冷静に論理的に考え、スマートに行動する。そっちの方がかっこいいし、断然説得力もある。

 

何より品性、品格というのは、その人間の「人となり」を判断する上での指標となる。そしてそれは、日頃の何気ない言動に表れるものである。品性というのはどんなに取り繕ったところで、その言動、もっといえばその人の出す「空気」から感じられてしまうものだ。だからこそ、一見品のあるように見せかけた人間の無意識的な言動から垣間見られる汚さほど醜いものはない。

 

それはともかく、要するに何事もやり方が重要であるという話である。

 

ちなみに個人的には、チャールズ・ビアード(Charles A. Beard)のような修正主義者には好感をもっている。何だかんだで大御所歴史学者だというのもあるが、単純に彼の著作はおもしろい。

たとえば↓は、教科書では学ぶことのできない合衆国憲法、あるいは現代にも通じるアメリカの国家観を分析する上での新たな視角を得ることができる。

  

An Economic Interpretation of the Constitution of the United States

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