表象としての世界と自他

世界をどう眺めているかを知ることで、その人の価値観や思考の深さ、知性ないし知的水準が浮き彫りになる。ここでいう世界とは、なにも国際政治・国際関係論に限ったものではない。日常に根ざした、より包括的な概念としての「世界」である。

 

いかなる客観も主観の制約を受けており、世界は「主観によって制約された客観としてはわたしの表象である」とショーペンハウアーはいう。これに続く「世界はわたしの意志である」かどうかという考察はさておき、人間にとって世界が主観の呪縛から逃れられない以上、他者が世界をどのように見ているかを探ることは、相手の本質的な人間性を見定めていく作業に他ならない。

 

会話をする時、相手を徹底的に観察する。なぜ相手がその言葉を選んだのかを考え、ちょっとした仕草に隠された真意を想像したりする。表情の変化や声のトーンなどから、何を考え、その背景にはいかなる価値観と思考的基盤があるのか想像を巡らす。そして相手の世界観を探っていく。相手の人間性を推し量る。

 

街ゆく人や、たまたま同じ場所に居合わせた人を何気なく観察する。歩き方や姿勢、表情、服装や持ち物などから、その人がなぜそこにいて、何を考え、どのような世界に生きているのか考えてみる。

 

そうしているうちに自分のなかに多くの偏見が生まれてきて、そして様々な人々と触れ合う中で、それらがあながち偏見ではないことに気づいたりもする。

 

他者の「世界」を覗くことで、自己の「世界」が相対化される。つまり自分を知るきっかけになる。同時に思考力と想像力が磨かれていく。

 

思考力と想像力を磨くには、思考し、想像する以外にない。その意味で読書の効用は計り知れないものがある。

 

先に挙げたショーペンハウアーは「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである」という言葉を残し思索することの重要性を説いているが、書き手のテーゼや論拠を基に思索を進めることができるかどうか、延いては読書の効用はひとえに読み手の心掛け如何に拠る。さらにいえば、どのような読書の仕方が習慣として身についているかである。読書は勿論、多読それ自体に害があるわけでは決してない。

 

自分の頭で考えられらない人間は、読書に限らず何を以てしても思索することはできない。そして自分の頭で考え、自分の言葉で表現できない人間は、話せば、観察すればかなり早い段階で人間としての薄っぺらさを露わにする。それは肩書や経歴、学歴などとは必ずしも相関するわけではない。

  

同じ現実、同じ世界を見ているようで、実のところ見ている世界は人によって違う。人はバラバラな生き物であり、真に理解し合うことは到底不可能だ。得てして見失いがちではあるが、この厳然たる事実の遺却こそが人間関係における不和軋轢を生起させる要因の大部分を占めているのではないかと思う。

 

ここでも読書は、自分と異なる見解や価値観を受け入れる恰好のトレーニングとなる。人間的に未熟であればあるほど、知性的に下等であればあるほど自分とは異なる意見に対して反論せずにはいられなくなる(そしてそれが反論の体裁をなしてすらいない場合ともなると救いようがない)。批判されれば的を射ない批判で応酬せずにはいられない。しかし常日頃から読書に親しみ、努めて多様な価値観や視角に触れていれば、あらゆる場面で「違い」を受け入れることができるようになる。違いを受容し、それを前提とした上で思索しなければどこまでも独りよがりになってしまう。

 

たまに本を読む習慣を持たずして自他の相違を受容する能力に長けた人物に出会うこともあるが、そういう例はごく稀であり、多くの場合は意識的にしろ無意識的にしろ読書を通じて多様な考え方に触れることでしか、自身の「正当性」を他者に証明しようとする行為がどれだけ非生産的で無益であるかということに気づくことは難しい。無論、これも一面的な見方にすぎないが、いずれにしろ本を読むことは人間として成長していく上での糧となる。

 

視野を広げ、自分の頭で考えることで自分なりの「現実」が見えてくる。そしてその「現実」は、ある部分では現実と一致し、ある部分では乖離している。「現実」は表象としての世界にすぎない。だから人間は自分以上の「現実」を見ることはできない。

 

繰り返しになるが、自己にとっての「現実」と他者にとっての「現実」は違う。程度の差こそあれ、両者とも現実を媒介した「現実」に拘泥している。そして互いに共鳴できる領域をなんとか見つけ出し、相手を理解した気になって安心する。「他者とわかり合える喜び」なるものに浸る。そんなの幻想でしかないのに。

 

人と人とが支え合い、助け合うことは素晴らしい。家族や気が置けない友人、恋人の存在はかけがえのないものだと思う。でも結局のところ自分の歩は自分で進めるしかない。だから自分の頭で考え、アクションを起こしていかなければならない。自他の「現実」と現実を峻別しつつ、想像と思考を繰り返しながら自分の「世界」を構築していく。

 

自分の人生は自分で切り開いていく以外にない。その過程で誰かが助けてくれることがあれば、素直に感謝すればいい。そしてまた自分の力で歩いていく。人間は最期までひとりで歩き続けなければならない存在なのだから。