世界の見方③

世界の見方①

世界の見方②

 

リアリズムとリベラリズムの相克が主流をなす国際政治の分野において、第三の潮流としてのマルクス主義の思想はもはや完全に希薄化している。とはいえ、かつて一世を風靡したマルクス主義の基本的な世界観を理解することには少なからず意義がある。現に今でもこの系譜(たとえば「従属論」や「<帝国>論」)の世界観に生きる人は一定数いるわけで、何よりもより多くの視座を得ることで自身の立場を相対化することができる。

 

いわゆる「右寄り」な人々は、「左っぽい」主義・主張やマルクス主義という言葉に過剰に反応し、露骨に嫌悪感を露わにする。別にそれが悪いとは言わないが、じゃあ「左派」とか「マルクス主義」って何?と問われて答えられる者がどれくらいいるかといえば、実はほとんどいなかったりもする(※)

 

(※) 以前、防大生約100人に対して同じ質問をしてみたところ、まともに答えられた学生は一人もいなかった。ちなみに防大生は紛れもなく「エリート」である。念のため。

 

イデオロギーについてはもちろん、マルクス主義とは何ぞや、なんて学校では教えてくれないし、周りの大人も教えてくれない。大学生であっても今の時代『共産党宣言』や『資本論』、『帝国主義論』を読むのは政治学や経済学、国際関係論を専攻するほんの一握りの学生だけである。

 

学校の先生にはマルクス主義あるいはその流れを汲む思想・世界観をもつ人が比較的多いといわれる。それでも中学・高校でマルクス主義について教わった記憶はない。唯一高校の世界史と倫理の授業で軽く触れられていたのみである。「他人の気持ちを考えよう」なんて教育するくらいなら、いっそ様々な世界の見方ないし価値観やイデオロギーを体系的に教えればいいのに、なんて思ってしまう。

 

前置きはこれくらいにして、マルクス主義の世界観について。

 

18世紀後半から19世紀にかけてのヨーロッパは、産業革命の全盛時代にあった。産業革命とは、道具から機械への生産技術の変化とそれに伴う産業構造の高度化、経済および社会全体の大変革である。産業革命が起これば、結果として工場制機械工業を基盤とする近代資本主義が確立することとなるが、その前提には豊富な資本・市場・労働力の確保が求められる。ゆえに産業革命は、近代化の代償として様々な労働問題・社会問題を生み出す。

 

産業革命下の劣悪で過酷な労働環境を目の当たりにしたドイツ生まれのユダヤ人、思想家マルクスは、その根源である資本主義を痛烈に批判した。マルクスエンゲルスによって1848年に発表された共産主義者同盟の綱領である『共産党宣言』第1章は「今日に至るまで、あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」と書き出されているが、資本主義は搾取する側の資本家階級(ブルジョワジー)と搾取される側の労働者階級(プロレタリアート)の階級闘争を生み出す、というのがマルクス主義の基本的な世界観である。

 

そしてマルクス主義は、このような「強者による弱者に対する支配・搾取」という構造を打破すべく、労働者が団結して革命を起こすことで理想の共産主義社会を実現することを訴えかける。『宣言』は「万国のプロレタリア、団結せよ!」の一文で締め括られている。

 

マルクス主義の特徴として、下部構造(「生産様式」=経済)が上部構造(政治・文化・社会)を規定するという「経済決定論」がある。資本主義の下では、ブルジョワがプロレタリアを過度の低賃金で労働させることによって利益を得る。そして財力を基盤とした社会的権力を握るブルジョワは、政治にも多大な影響力を及ぼすようになる。よって政治はこのような搾取構造に益するものとなり、ブルジョワの影響力は広く文化・社会の領域にまで及ぶ。

 

マルクスの思想を受け継いだ革命家レーニンは1917年にロシア革命を成功させ、22年には世界初の社会主義国ソ連を成立させた。レーニンによれば、ブルジョワは自国の労働者から搾取するだけでは飽き足らず政治を対外的膨張に向かわせるため、資本主義国は必然的に帝国主義に陥る。そして帝国主義国が複数現れれば海外植民地の奪い合いが生じ、戦争となる。

 

レーニンはその著『帝国主義論』において、資本の集中→資本の海外流出→資本間対立→国家間対立→戦争という図式を提示し、戦争が資本主義の必然的産物であると主張した。その一方で、社会主義共産主義は格差のない平等な社会だけでなく世界平和をももたらすとして、資本主義に対するマルクス主義の倫理的優位性を説いた。

 

しかし、ボーア戦争(1899‐1902)やチャコ戦争(1932‐35)などの一部の事例を除けば、多くの戦争には経済的動機がその背景要因にあったとしても、それだけが戦争の主たる原因となっているわけではない。また、社会主義国家が平和を導くという理想は、戦後の歴史的事実によって否定されている。

 

冷戦期、レーニン帝国主義論のアンチテーゼとして台頭したのがロストウの「近代化論」である。さらにそのアンチテーゼとして1960年代に出現したのが「従属論」であり、従属論をベースにより動態的な議論を展開したのがウォーラーステインの「世界システム論」である(※)

 

(※) 近代化論や従属論、世界システム論を本格的に学ぼうとするとすぐに気付くが、これらは率直に難しい。理解するだけでもかなり頭を使うのでおもしろいといえばおもしろいのだが、難しい議論が多数派の支持を得ることはまずない。議論の難解さも、マルクス主義系統の世界観が希薄化している要因の一つなのではないだろうか

  

そして近年(といっても10年以上前ではあるが)マルクス主義復権という評価も見られるネグリらの「<帝国>論」や、イラク戦争で顕著となったアメリカの単独行動主義に対する「アメリカ帝国」批判と、それに連動した反グローバリゼーションの動きなどもマルクス主義の影響を強く受けている。

 

今日では完全に下火となったマルクス主義ではあるが、たしかにマルクス主義が強調する格差や強者による「強制的な力の作用」は不可避的な現象として残存するであろう。しかし階級闘争、あるいは「従属の視角」や「近代化の視角」は過度に経済還元主義であり、やはり現実離れしている感が否めない。