世界の見方①

前回とは打って変わって、今回は国際政治学・国際関係論の分野における世界の見方について。

 

そもそも国際政治学ないし国際関係論は、戦争と平和に関する学問である。なぜ戦争は起こるのか、どうすれば世界は平和になるのかという、人類にとってある意味究極的ともいえる問題の探求こそがこの分野の「永遠の課題」であるといえる。有史以来、今日に至るまで人類は戦争をなくすことができていない。戦争によって多くの人命が失われてきたにも拘らずである。

 

幸運にも世界有数の平和国家に生まれ育った僕たち日本人には実感が湧き難いが、世界に目を転じれば今もそこら中で「合法的な殺し合い」が行われている(※)。現に多くの人々が、今この瞬間にもかけがえのない命を失っているのだ。

 

(※) 「合法的な殺し合い」=戦争。

 

人類は平和な世界を希ってきた。しかしその一方で、個人、集団、国家間のどのレベルにおいても争いが絶えることはない。戦争のない平和な世界をめざすにしても、まずはこの現実をありのままに受け入れなければ始まらない。

 

この世界を分析的に眺めていく上で、一つの有用な世界観としてリアリズム(現実主義)がある。リアリズムは基本的に、人間は道義的にも知的にも限界があるという悲観的な見方に拠る。古来、人間は自己の利益のために争い、闘い、奪い合ってきた存在であり、本質的に利己的で暴力的な生き物である。

 

17世紀イギリスの思想家・哲学者のトマス・ホッブズは、自然状態にある人間は規範的無であると考え、自然状態は「万人の万人に対する闘争」を引き起こすと論じた。ホッブズによれば、人間を野放しにしておけば欲求の充足を求めて闘争を始めるので、社会契約として自然権(自己保存のためにあらゆるものを利用する権利)を国家に譲渡することで平和が保たれるという。ゆえに国家には権力を集中させた国内統治機構としての中央政府が必要となる(※)

 

(※) ホッブズの思想については別記事でもう少しだけ詳しく触れておきたい。

 

しかし国際社会には、国内社会にみられるような中央政府、すなわち世界政府が存在しない。国際社会はアナーキー無政府状態)である。そして本質的に利己的な人間の集団によって構成される国家は、国際社会において利益(国益)を求めて争い、奪い合う。必要であれば、実力(武力)を以て目的を達成しようとする。警察機構がしっかりと機能している日本のような国で他者を傷つけたり金品を強奪すれば、犯罪者としてそれ相応の処遇を受けることとなるが、アナーキーな国際社会に世界警察は存在しない。誰も守ってくれない以上、自国の独立や主権、領土、国民の生命・財産は自国で守らなければならない。

 

ゆえに国家はパワーを追求する。パワーとは、ごく簡単にいえば自分の思い通りに相手の行動をコントロールする能力のことである。政治学的には、「AのBに対する働きかけの結果、そうでなければとらなかったであろう行動をBがとった時、AはBに対してパワーを行使した」などと定義される。複雑なパワーの概念を単純に捉えるならば、パワーとは国力そのものであるという見方もできる。

 

アメリカの国際政治学者モーゲンソーは、国力(パワー)は経済における金(money)のようなものであり、それは国益追求の手段であると同時に国益そのものであると論じた。国家と国家の対立は国益国益の衝突であり、その最終的な局面として戦争がある。ここにおいて道徳や正義、規範などの概念はあまりにも無力なものとなる。「剣はペンよりも強し」である。

 

弱肉強食の国際政治において、道徳や正義、規範では敵の軍事力から自国を守ることはできない。ゆえに国政を担う国家指導者をはじめとする政治外交エリートは、どこまでも合理的な思考が求められる。すなわち自国の安全保障を確保し、かつ国益を最大化するためのあらゆる政策オプションに関する費用(コスト)と効果(ベネフィット)を試算し、最も費用対効果の高い政策、最も大きな利益の得られる政策を実行していくことである。国家が生存競争に勝ち残り、繁栄していくためには深慮(prudence)に基づく合理性が欠かせない。

 

そして各国の深慮に基づく合理的なコスト‐ベネフィット分析の結果、武力の行使よりも相互に牽制し合い、パワーを均衡させることで安定的な秩序を現出させることが志向されたり(勢力均衡)、外交交渉によって戦争の危機が回避されたりもする。もちろん、武力行使あるいは戦争をすることによって得られる利益が、それによって生じるコストを上回ると試算されれば、一政策オプションとして戦争が選択されることもあり得る。

 

以上、リアリズムの世界観をざっくり見てきたが、いわゆるタカ派・右派=リアリストではないことに留意されたい。あくまで「現実に即した世界の見方」がリアリズム的世界観なのである。

 

世界の見方②