世界の見方②

世界の見方①の続き。

 

リアリストは性悪説の立場から人間の不完全性を前提とし、アナーキーな国際社会の舞台において国家は国益、とりわけパワーを追求し、互いに争い奪い合う主体であるとみる。そして国家間のパワーをめぐる抗争の最終局面が戦争であり、政策決定に携わる政治エリートの深慮に基づく合理性によって戦争が避けられることもあるが、コスト‐ベネフィットの試算から戦争という一つの政策オプションが合理的に選択される可能性は棄却できない。ゆえに国家は、常に外敵の脅威ないし戦争の可能性に備えなければ自国の生存が覚束ない。これがリアリズムの基本的な世界観であったことを再度確認しておきたい。

 

対立を強調する悲観的な世界観ともいえるリアリズムの対抗軸となってきたのが、リベラリズムである。伝統的な西欧啓蒙思想に根ざした世界観であるリベラリズムは、理想主義、進歩主義啓蒙主義など様々な呼ばれ方をしてきた。リベラリズムはリアリズムに比べてより多様な潮流であるといえる。

 

リベラリズムの世界観の根底には、人間は合理的で理性によって進歩する存在であり、そのような人間集団によって構成される世界も、当然理性によって改善できるという啓蒙主義的な発想がある。リベラルからすれば、リアリストは人間を過小評価することで進歩の可能性を否定し、現状に甘んじているように映る。

 

古典的リベラリズムは、たとえば『永遠平和のために』で共和制国家連合による世界平和を主張した18世紀ドイツの哲学者カントや、功利主義の立場から『自由論』を著した19世紀イギリスの哲学者J・S・ミルなどの流れを汲むものが多い。特に二つの世界大戦に挟まれた戦間期の理想主義的な世界観、法や制度による国家主権の制約によって平和を実現できるという発想こそが、古典的リベラリズムの核心であるといえる。1918年に発表された第28代アメリカ大統領ウィルソンの「14カ条」や、1928年の不戦条約(ケロッグ‐ブリアン協定)にみられる理想主義的な文言はその典型である。

 

 近年(といってもここ数十年)「国際協調主義」の訳語が充てられることが多いリベラリズムの思想的特徴としてはまず第一に、経済的な相互依存は平和を促進するというものである。たとえば、ある国家間で自由貿易が行われているとすれば、それは相互に利益を見出しているからであり、両国の利益は対立せずに調和している。このような状態で戦争を仕掛けるのは自らを害する行為であり、明らかに不合理である。経済的な相互依存が深まれば深まるほど両国はいわば運命共同体となる。ゆえに合理的に自国の利益を追求することで、自ずと平和が促進されることとなる。

 

第二に、リベラリズムは国内体制が国家の対外行動に与える影響を重視する。特に世論が大きな影響力をもつ民主主義国家は戦争をしにくく、また民主主義国家で構成される国際社会が形成されれば、国際世論が戦争に対して否定的である限り戦争が抑制される。民主主義国家同士は戦争をしないという民主的平和論(デモクラティック・ピース)や、民主主義を輸出することで世界は平和になるというアメリカ的な発想がこれに該当するといえる(※)

 

(※) このような発想の根底にある「アメリカ例外主義」は、「自由」や「民主主義」といった普遍的なアメリカ的価値観やアメリカの政治制度、あるいはアメリカの社会体制一般は「世界に冠たるものであり、世界の範たるべきものである」というアメリカの強い特殊性および普遍性の意識を象徴していると見ることができる

 

第三に、リベラリズムは制度による平和、すなわち国際法や国連などの国際組織が平和を実現することに大きな期待を抱く。国際法アナーキーな国際社会に法秩序を与え、また国連による集団安全保障体制や平和維持活動は戦争の抑止および平和構築・維持には欠かせない。人類の理性は進歩するので、理性的な世論と合理的な政治判断によって国際的な諸制度の下、国家間における協力関係が築かれていく。アナーキーな国際社会においても、国家は国際法や国際組織、あるいは人類共通の理念や規範などに自発的に服することが自国を益する合理的な選択であると考え、行動する。その結果として平和も達成されるはずである。

 

以上のように、国際関係の「対立」の側面に焦点を当てるリアリズムのアンチテーゼとしてのリベラリズムは、国際関係の「協調」の側面に重きを置く。どちらがいい、悪いの話ではなく、あくまで世界の見方を立場の違いから便宜的に分類したものである。

 

世界の見方③