オバマの「偉業」?――キューバとの国交正常化交渉

Charting a New Course on Cuba | The White House

 

U.S. to Restore Full Relations With Cuba, Erasing a Last Trace of Cold War Hostility

 

Rubio Sticks to His Tough Line on Cuba

 

各メディアで盛んに取り上げられている通り、オバマ大統領はアメリカが1961年から断交状態にあるキューバとの国交回復に向けた交渉を開始し、数か月以内に在ハバナ米大使館の再開をめざすことを発表した。

 

「過去の手枷を解き放ち」、これまでの「何十年もの間アメリカの利益にならなかった時代遅れの手法」、すなわち制裁路線を一転し、禁輸や渡航制限の一部解除、金融取引の規制緩和などが進められる見通しである。

 

アメリカは約一年半、キューバとの国交正常化をめざしローマ教皇フランシスコなどを介して秘密裡に調整を進めていたといわれており、来年1月末からジェイコブソン(Roberta Jacobson)国務次官補を中心とする代表団がキューバに派遣され、国交正常化交渉が開始される予定となっている。

 

しかし米国内ではキューバテロ支援国家のリストから外すこと対し、共和党議員を中心に非難の声が上がっており、またキューバ系のマルコ・ルビオ(Marco Rubio)上院議員はキューバ人諜報員3名を釈放したことを批判し、「大統領が提案したこの取引は、酷いトレードオフだ」、「あらゆる権限を行使して代表団の派遣を阻止する」と語っている。

 

今回のキューバとの国交回復交渉開始に関しては、中間選挙で敗北を喫したオバマが残り2年となった任期を見据え、外交における目に見える成果を挙げることを企図したものだという報道が散見される。

 

たしかに「イスラム国」掃討やウクライナ問題をはじめオバマ政権外交政策課題は山積みであるように思われるが、アメリカの対外政策は政策決定過程に直接携わる人々に加え間接的に影響力を及ぼす各界の人物も数知れず、利害関係と権力闘争が複雑に絡み合ってまとめ上げられるものである。それゆえ、キューバとの国交回復は任期が終了するまでにオバマが「偉業」を成し遂げるための手段であるという見方は、極めて一面的であるように思われる。

 

とはいうものの、真相はホワイトハウス職員、それもウエストウィングでオーバルオフィス(大統領執務室)に出入りできる者しか知り得ない以上、しばらくは「オバマ偉業説」が最も有力な政策決定要因であるとされるであろう。

You, 出馬しちゃいなよ


自公が圧勝325議席…民主伸び悩み、維新苦戦 : 政治 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

 

というわけで、自民党の圧勝で幕を閉じた第47回衆院選

 

「たしかな野党」こと共産党が大幅に議席を伸ばしているのは、効果の実感できないアベノミクスに対する失望感からなのか、はたまた集団的自衛権の行使容認や防衛装備移転三原則等にみられる、右傾化への危機感からなのか。

 

それにしても投票率が52%って。

たしかに今回の解散総選挙は多くの国民にとってあまり意義を見出せるものではなかったし、いまいち盛り上がりに欠けていたことは否めない。それでもさすがに52%は低すぎる。ちなみに前回の衆院選では20代の投票率が37%であったが、今回はさらにそれを下回る勢いであるという。もう櫻井くんが出馬すればいいのに。

 

内政、それも経済政策が焦点となった選挙でこれだけの投票率ということは、外交・安全保障なんてほとんどの国民にとってはどうでもいいことなのだろう。国民の大多数が安全保障政策なんかには興味すらもたない社会の方が健全であるという見方もあるが、僕はそうは思わない。

 

国の平和と安全が保障されてはじめて自由と民主主義がもたらす恩恵を享受することができ、そしてその先にこそ国家の繁栄がある。ゆえに安全保障政策は、経済政策、社会保障、その他あらゆる政策に先立つものであるといえる。

 

そして安全保障に関していえば、軍事力ないし軍事的な価値を過度に重視する戦前・戦中のような軍国主義も、軍事的な価値を不当に過小評価する戦後の空想的一国平和主義も、ともに有害無益であることに変わりはない。

 

日本が平和主義を基調とする民主主義国家としてシビリアン・コントロールを貫き通していく限り、その行く末を握るのは我々国民に他ならない。過去の悲劇を二度と繰り返さないために、そしてより良い未来を実現していくためにも、自ら学び、考え、投票を通じて政治に参加することには、おそらく一般に言われる以上に重要な意味があるのではないだろうか。

米海軍新レーザー兵器LaWS


With photos and video, Navy shows how its new laser gun works at sea - The Washington Post

 

米海軍オースティン級ドック型輸送揚陸艦ポンセ(USS Ponce, LPD-15)にこの秋から配備されている新レーザー兵器LaWSの映像が公開されている。

 

可視光線がピンポイントで標的を照射し、的は一瞬にして燃焼。

ものすごい精度である。

 

威力はミサイルに比べれば数段落ちるが、特筆すべきは一発あたりのコスト。

ミサイル一発の発射費用が数十万ドルであるのに対し、LaWSの発射費用は一発1ドル以下(約59セント)であるという。まさに破格のお値段。

 

そもそもレーザー兵器は「非対称な脅威」といわれる無人偵察機や高速ボートなどを標的とするため、ミサイル程の威力が求められるわけではない。最新鋭のステルス技術に対して自爆攻撃が用いられるような非対称戦では、圧倒的な火力で敵を殲滅するという伝統的な戦術よりも、むしろ安価な兵器で確実に敵の損害を積み上げていく方が合理的である。

 

国防予算の削減が進められる昨今のアメリカでは、いかにコストを抑えながらグローバルな非対称戦に対処していけるかが大きな課題であるとされる。世界屈指の技術力に裏打ちされたいわゆるRMAの増進が、アメリカの世界戦略、延いては国際安全保障の行く末を左右するであろう(※)

 

(※) RMA(Revolution in Military Affairs: 軍事における革命)とは、広義には軍事における諸要素の革命的な変化のこと。

CIAの「強化尋問技術」――米上院情報特別委員会調査報告書

Senate Panel Faults C.I.A. Over Brutality and Deceit in Interrogations

 

Senate report on CIA program details brutality, dishonesty - The Washington Post

 

米中央情報局(CIA)がブッシュ政権期に行っていた非人道的な尋問、「強化尋問技術(Enhanced Interrogation Techniques: EIT)」の実態に関する、6000頁以上に及ぶ上院情報特別委員会調査報告書の要旨が公表され、様々なメディアで大きく取り上げられている。

 

要するにCIAがテロリストから情報を引き出すために、蹴ったり殴ったり裸にガムテープをぐるぐる巻きにして引きずり回したり、一週間以上も寝させなかったり、水責めしたり氷風呂に入れたり直腸に色々流し込んだり、家族に危害を加えると脅したりしていたということが公になったという話である。

 

EITの対象になったのは拘束者119人のうち39人で、そのうち7人からは何の情報も引き出せなかった一方で、EITの非対象者からも正確な情報が上がってきていたことや、EITを受けた後に偽の情報を述べていた者が複数いたことなどから、報告書は非人道的なEITに効果はないと結論づけている。

 

オバマ大統領は一期目の就任直後、EITを含む非人道的な尋問を禁止しているが、今回の報告書に関する声明の中で、CIAによる事実上の拷問は「国際社会におけるアメリカの地位を著しく傷つけた」とし、アメリカが「こうした手法を用いることは二度とない」と述べている。

 

アブグレイブもそうだが、何もアメリカに限った話ではなく、こういった残虐な行為は世界の至るところで実は日常茶飯事なのかもしれない。映画の中だけでなく現実に起こっているのだろう。この世界は本質的に「ホッブズ的世界」であり、「カント的世界」はその中のほんの一部の領域を占めるにすぎないのだ。

 

諜報機関や軍隊、あるいはそっちの世界に生きる人たちは昔からこういう手法を使っていたのだろうけど、この手の話を聞く度に「ああ、人間って怖いな」と率直に思う。

 

僕は幸運なことに、小さな頃からいじめや暴力とは無縁の世界で育ってきて、初めてそれに近いものを目の当たりにしたのは防大に着校した日である。今でも鮮明に覚えているが、その時は本当に衝撃的だった。世の中にはこんな世界があるんだなと本気で恐怖した。

 

当時の上級生は非常に威圧的で暴力的であったが、それも所詮「作られた世界」の話であって、どうやらこの世界には、目的のためには手段を選ばないような「本物の人間」、換言すれば「汚い大人」がたくさんいるらしい、ということに気付いたのは割と最近である。そしてたちが悪いのは、そういう人間に限って表面上は倫理や道徳を振りかざし、その醜態を隠そうとしていたりすることである。

 

「カント的世界」でふわふわと生きてきた自分が「ホッブズ的世界」で生き抜くためには、自分なりの確固たる戦略をもたなければならない。そんなこんなで、戦略をライフワークに組み入れようという考えに至ったわけである。まあウソですけど。

 

どうでもいいけど、 A hard pill to swallow(「飲み込み難い錠剤」)と題された英エコノミスト誌の記事の中で、「強化尋問技術」は拷問をオーウェル風に表現した語であると書かれている。イギリス人のインテリはやたらオーウェルに還元したがるというのは本当のようだ。

次期国防長官のカーターは物理学者だけれど


Ashton Carter, passed over before, gets picked by Obama to be defense secretary - The Washington Post

 

先週末、次期国防長官に指名されることが発表されたアシュトン・カーター(Ashton B. Carter)は、パネッタ前国防長官、ヘーゲル現国防長官の下で昨年12月まで背広組のナンバー2のポストである国防副長官を歴任し、またゲーツ元国防長官の下では兵器購買責任者も務めていた安全保障分野の第一人者である。

 

カーターは軍人ではなく物理学者であり、イェール大学で学士号、そしてローズ奨学生としてオクスフォード大学で理論物理学の博士号(Ph.D)を取得している。カーターはヘーゲルのように軍歴があったり著名な上院議員であるわけでもなく、高級技官(technocrat)として安全保障の分野でキャリアを築いてきた。しかし「ローズ奨学生(カーター)には、ペンタゴンがいかに動き、彼の主張を通すためにはいかに無遠慮な言葉を用いればいいのか内部者としての理解がある」と報じられている。

 

ちなみにローズ奨学金はオクスフォード大学の大学院生に与えられるもので、アメリカにおいてローズ奨学生は超エリートの証であり、これを得た者はパワーエリートの道が約束されたも同然であるといわれている。有名どころでいえば、クリントン元大統領や国際政治学者のジョセフ・ナイ、政治哲学者のマイケル・サンデルなどがローズ奨学生である。

 

国防省のエリート高級技官として技術畑を歩み、かつ兵器購買責任者を務めていたこともあるカーターは、ハイテク新兵器の導入やUAV(Unmanned Aerial Vehicle: 無人航空機)を用いたいわゆる"Drone Wars"に積極的であり、これがオバマの基本方針と合致していたことが、今回の指名に繋がったという見方もある。 

 

ただし、スーザン・ライス(Susan E. Rice)国家安全保障問題担当大統領補佐官はペンタゴンに対してかなり細部にまで口を挟んでいるらしく、これがヘーゲルホワイトハウスの軋轢の根底にあったと度々報じられていることから、その辺を上手くかわす調整力が求められよう。

 

アメリカの次期国防長官がバリバリの理系ということであるが、安全保障に限らず政治学や経済学といった社会科学を本格的に専攻し、その道に進むことを望むのであれば、学部4年間は数学や物理を専攻して大学院以降に文転するのがベターではないかと思う。今更だけど。

 

アカデミックの世界をめざすにしろ、実務者として政策に携わっていくことをめざすにしろ、文系の領域こそ、実は数学や物理学を基盤とする「理系的なモノの見方」が必要なのではないだろうか。とくに実務に携わるのであれば尚更そうであるように思われる。

 

文系の人間からすると、理系は理論や数式に拘泥するようなイメージがあるが、実は文系人間の方がよっぽど「理論」や「公式」に囚われやすかったりする。現実が理論通りにならないとオロオロしてしまうのは、理系よりもむしろ文系である。

 

現実世界の不確実性を前提にしつつ、論理的に、時に複雑な数式を駆使しながら思考できるというのは、どの世界で生きていくにしろ大きな強みである。

 

というわけで、僕たちが第一に求める人材は「鬼のように数学ができます!」「確率・統計が縦横無尽に使いこなせます!」って人だったりするのだけれど、「周囲の誰よりもアラビア語ができます」でも「コンピュータオタクです」でも、「福山雅治よりイケメンです」でも「佐々木希より美人です」でも、何でもいいからとにかく自分なりの強味がある人と一緒にやっていきたいと考えているのであります。

Whitewashing History in Japan――日本における歴史の糊塗(品性は大事だと思うのです)

Whitewashing History in Japan

 

ニューヨーク・タイムズの社説で日本の右派勢力が非難されている。

 

記事によれば「安倍政権にけしかけられた日本の右派勢力が、戦時慰安所で旧日本軍が数千人の女性に奉仕させることを強要した第二次大戦における不名誉な出来事を否定する脅迫キャンペーン(campaign of intimidation)を実施している」という。

 

また、「安倍政権は戦時の歴史を糊塗する勢力に迎合する形で火遊びをして」おり、安倍首相が今年3月に河野談話を踏襲する意を表明した際に政府が認めた「韓国やその他の国の女性数万人が性的な苦役を強制された」という事実にこそ、「修正主義者の陰謀に拘らず歴史的な真実がある」と書かれている。

 

歴史修正主義者はいつの時代も一定数存在するし、それを批判したり説得しようとしたところで、彼らは余計に血気に逸るだけである。

 

以前の記事でも書いたが、僕は人はバラバラな生き物で、人によって見ている世界は全然違うと思っている。だから他人が世界をどう見ようとその人の勝手だし、他人にとっての「事実」に関してとやかく言うつもりは毛頭ない。

 

毛頭ないのだけれど、世界中のエスタブリッシュメントが目を通すニューヨーク・タイムズの社説に「脅迫キャンペーン」などと書かれるようなやり方は正直やめてほしい。日本人の品性が疑われるようである。

 

ナショナリスティックに、声高になるのは構わない。しかしその主張の根拠は、積み上げられてきた理論と歴史に基づくものでなければどうしても説得力に欠けるし、他人(それも外国人)を説得したいならやはりそうあるべきだと思う。

 

知識と思考力、すなわち知性を最大限に動員し、感情論に走るのではなくどこまで冷静に論理的に考え、スマートに行動する。そっちの方がかっこいいし、断然説得力もある。

 

何より品性、品格というのは、その人間の「人となり」を判断する上での指標となる。そしてそれは、日頃の何気ない言動に表れるものである。品性というのはどんなに取り繕ったところで、その言動、もっといえばその人の出す「空気」から感じられてしまうものだ。だからこそ、一見品のあるように見せかけた人間の無意識的な言動から垣間見られる汚さほど醜いものはない。

 

それはともかく、要するに何事もやり方が重要であるという話である。

 

ちなみに個人的には、チャールズ・ビアード(Charles A. Beard)のような修正主義者には好感をもっている。何だかんだで大御所歴史学者だというのもあるが、単純に彼の著作はおもしろい。

たとえば↓は、教科書では学ぶことのできない合衆国憲法、あるいは現代にも通じるアメリカの国家観を分析する上での新たな視角を得ることができる。

  

An Economic Interpretation of the Constitution of the United States

An Economic Interpretation of the Constitution of the United States

 

 

習近平国家主席演説――中央外事工作会議

Leader Asserts China’s Growing Importance on Global Stage

 

中国の習近平国家首席が先週末に開かれていた中央外事工作会議の中で、外交政策の方針を公の前で表明している。

 

習近平外交政策の基本方針は、2012年に発表された「中国の夢」において掲げられた「中華民族の偉大なる復興」という理念に基づくものであると思われるが、Zhang Baohui香港・嶺南大学教授によれば、今回の演説は「習の外交政策に対する情熱と、彼が中国隆盛の最終局面を見据えているという事実を反映して」おり、「これ(演説)は中国のグランド・ストラテジー(大戦略)に関するもの、すべてについて」であるという。

 

習近平は演説の中で中国の核心的利益について触れ、「我々は正当な権利と国益を決して放棄せず、また中国の核心的利益を蝕ませるようなことは決してさせない」と強調した。さらに、「領土主権と海洋権益を断固として守り、領土や島嶼を巡る紛争問題を適切に処理する」と述べていることからも、南シナ海および東シナ海における対外強硬路線を推し進める見通しである。

 

中国は覇権国ではないものの、経済力・軍事力の面ではいまや紛れもない大国であり、大国として相応しい振る舞いを見せるべきであると多くの専門家が語る。

 

しかし中国の動向を見る限り、中国は明らかにハードパワーの行使、すなわち力による現状変更を企図しているように思えてならない。

 

一応中国も胡錦濤の時代からソフトパワーがなんちゃらとは言い出していて、習近平も今回の演説で「中国のソフトパワーを増大していくことは極めて重要」であると述べている。しかし少なくとも、中国のいう「ソフトパワー」が、相手の選好に働きかけ、間接的に影響力を行使するという意味でのソフトパワーとは別の概念であることはたしかである。

 

(※) でも中国のソフトパワーってなんなんだ一体…とりあえず『論語』と中華料理は好きなんだけどな…。

 

習近平は、中国は近隣諸国にとって脅威ではないことを繰り返し強調するが、脅威を「意思×能力」として捉えれば、我が国にとって中国は紛れもなく脅威に映る。ちなみに日本もアメリカも中国に対して公式に「脅威」という言葉を用いてはいない。

 

アメリカの相対的なパワーの衰退に伴い世界が多極化へと向かう中、中国は経済力と軍事力を基盤とするパワーを増大させ、国際社会における影響力の確保、とりわけアジアにおける覇権を打ち立てようとしている。たしかに「中華民族の偉大なる復興」という理念は、国内向けのレトリックという側面が大きいことには違いないが、少なくとも東アジア地域に限っていえば、わりと本気で中華帝国を復興させようとしているのかもしれない。

 

そういえば防大4年のとき、中国を専門とする国際政治学者でもある國分学校長に直接お話を伺う機会に恵まれて、そのとき「中国の外交は国内政治、特に党内の権力闘争ありきなんだよ」と仰っていたのを思い出す。

 

中国研究の第一人者である國分先生が仰るからには、中国では対外政策が国内政治に大きく規定されるに違いなく、「中国の夢」は、やはり党員ないし国民の受けを狙ったものであると考えられる。非民主主義国家である中国政府の国内における正当性はそこに拠るしかない以上、当然といえば当然ではある。

 

ではあるものの、東アジアの歴史を見れば、そのほとんどの期間において中国が覇権を握っていたといっても過言ではない。日本が中国のパワーを凌駕したのは1894年の日清戦争における勝利以降のことで、たかだか100年ちょっとに過ぎないのである。元や清など異民族によって築かれた王朝期が間々あったにしろ、それを差し引いても圧倒的な長期間、日本の上位に位置してきた漢民族中華民族)にとって、日本人は格下・下等な民族であるという認識が根底にあるのではないだろうか。そういう見方が良いか悪いかという話は別にして。

 

中華民族の偉大なる復興」には、そういった民族的なプライドみたいなものが多分に含まれているように思われる。それはナショナリズムとも違う、もっとファンダメンタルな部分に根付くものなのだろう。

 

その追求が彼らの戦略であるとすれば、それはたしかに合理的ではないかもしれないが、合理的な人間が不合理な行動をすることは現実には決して珍しくはない。

 

無論、何を以て「合理的」であると見るかによっても話は変わってくるのであるが、いわゆる効率的市場仮説や合理的期待形成仮説だってあくまで一つのモデルというか仮説にすぎないし、ウォールストリートの「天才」にしろ、マエストロといわれたグリーンスパンにしろ、世界で最も「合理的」な人間たちでさえあのような過ちを犯すわけである。

 

山口昇先生が戦略論や戦争論研究の講義でよく仰っていたが、「人は間違う、機会は壊れる」のである。

 

ましてや経済以上に不合理性に左右される政治の領域であることを勘案すれば、中国は本気で「夢」を追っているのではないかと思ってしまう。

 

とにもかくにも夢を追うのは勝手だが、周りを巻き込んで夢を押し付けようとすることだけはやめていただきたいものである。